「主権対帝国」という二項対立ではないオルタナティブとしてのマルチチュードの可能性を考察する。しかし具体的は話になればなるほどうなずきがたい部分が多い。例えば、著者らは恐らく「参加型予算システム」をオルタナティブのひとつとして評価していると思われるが、いくら民衆の直接参加がなされているとはいえ、それは実際には法による規制があるから機能しているのだ。生協運動などもそうだが、資本を国家権力によって規制するというやり方以外での、自主管理、連帯の方法を我々はまだ見出せていないのだ。つまり、主権を排したオルタナティブ的な社会編成論をたてることは、結果的に資本蓄積へのブレーキを奪い去ってしまう「反動」にいたる危険性がある。このように本書は全体的にネオ・リベラリズム・グローバリズムに楽観的である。昨年、ネグリは新自由主義的な欧州憲法批准に賛成を呼びかけ、否決したフランスを非難した。理由は、ネグリ・ハートにとって、労働者の権利が侵害され、社会保障や公共サービスが切り捨てられていくことよりも、主権」を超えることが重要だからだろう。本書は最後に「愛」で締めくくられているが、ああ、抽象的なマルチチュードなるものに著者の愛はむけられているとしても、新自由主義で切り捨てられていく具体的な個人には関心がないのだなあということは良く分かった。前著「帝国」はグローバル化による国民国家の変容と、「帝国」論を結んだ点で面白かった。が、話が具体性をますほど、陳腐になる。