わたしも言っておくが、お前はペトロス、つまり、『岩』である。この岩の上にわたしの教会を建てる。死の力もこれに対抗できない。(マタイ16・18『新約聖書共同訳・全注』p55 講談社学術文庫)
シモン・ペテロが彼らに言った。「マリハムは私たちのもとから去った方がよい。女たちは命に値しないからである」。イエスが言った、「見よ、私は彼女を(天国へ)導くであろう。私が彼女を男性にするために、彼女もまた、あなたがた男たちに似る生ける霊になるために。なぜなら、どの女たちも、彼女らが自分を男性にするならば、天国に入るであろうから」(荒井献『トマスによる福音書』p286 講談社学術文庫)
劇中映画「THIS IS MY BLOOD」は、ペテロとマリア・マグダラの対立というグノーシス的な内容らしい。そのストーリーは不明ですが、もう一人のマリア=もう一つの福音書を示すことで、ペテロの権威の相対化。保守的な人間にとって“岩”が大揺れに揺れる地殻変動に等しい事態に。
テッドは何となくぬいぐるみの熊かガマガエルみたいに見えますが、しかし、失踪した女優マリーの携帯番号を手に入れるため、彼女の親友グレッチェンとベッドをともにしたりして抜け目がない。まさに番組に体を張っている…。
死海文書発見以来、福音書をメタテキストとして読む、ないしは教会史という背景に組み込まれたゲシュタルトとして読むという読み方が普通になったと思うのだけれど、相変わらず「パッション」(メル・ギブソン監督)のようなベタな作品が作られ、子供がひしと掌で耳に蓋をして断固としておとぎ話に読みふけるような状態も見受けます。
間に出てくる宗教学者たちはいいアクセントとなって興味を盛り上げています。彼らのコメントに関心が持てないとしたら、この映画の楽しみは半減することでしょう。
フェラーラ監督は暴動が起こらぬよう落とし所を考えています^^