フランス王妃というと殆どの日本人はマリーアントワネットしかしらないだろう。人口に膾炙した内容なので、新しい資料なども発見しにくいはずだが、次の点だけは健闘している。
ルイ16世が錠前作りが趣味であったことは広く知られているが、人は奇妙な性質とだけ片付ける。しかし王侯男子には何らかの職人技術を習得する教育が施されていたという事実をここで初めて知った。無為徒食の族にならないため、職業を知っておく倫理がすでにあったのだろうか。(オーストリア最後の皇帝は複雑な民芸タンス製作をプロ以上の腕前でこなしたことも添えられている。すでに教育の結果だけでなく、当人の資質と二分できなくなったいることを考えさせられる。フランツ・ヨーゼフには滅びと規則性や象徴性がある。『海辺のカフカ』の使う人のいなくなった民芸タンス職人ナカタさんがそうであったように。)
ただこの本は文章の点で難がある。作家が前面に出すぎ。そのへんの比率が素人が書いたようだ。本場のウィーン菓子を食べ甘いのでそのへんを走り回りたくなった、史跡見学を断った僧侶に省察による批判ではなく下品に毒づくなど、あんたの心情に読者はそれほど興味はないよ。恥ずかしくないのだろうか。そのテーマを選んでいる時点で作者の意思が現れているのだから対象を語ることで自己を仮託し、密かに前面に押し出すことはできるはずなのだが。
これにもかかわらず著名な西洋史学者が解説をしていることも不思議だ。きさくな人なのだろうか。福田和也が「作家の値打ち」でこれを取り上げているのも不思議。この作者は小説家なので、これは余技だと思う。またそこではツバイクの繰り返しと評しているが、さきの技術教育にはツバイクは触れてはいない。
それとこの作家はべつにマリーアントワネットのことが嫌いなのではないと思う。自己表現が稚拙なので対象に対する愛情をこういう形でしか表せないのだと思う。