我々サラリーマンが恐怖を感じるのはグロテスクな殺人風景の描写ではなく、オフィスで実際に読む淡白な報告書なのかもしれません。本書ではいくつかの殺人風景が非常に淡白な報告書のように表現されています。サラリーマンを恐怖に陥れる新たなミステリー技法と言えるかもしれません。現実の凄味というか、所謂ハードボイルド小説で人が殺されるシーンとは異なる、自分のすぐ側で実際に起こった事件のような恐怖を感じさせられます。
労災保険を用いたマネーロンダリング手法は損害保険業界の人にとっては常套手段として知られているのかもしれませんが、銀行業界に勤めていた私にとっては新鮮でした。確かにケイマンに再保険引受会社を設立すれば非常に美しいスキームが描けます。小説から仕事上の新たな知見が得られるのは久しぶりです。
一方、本書の内容が難解でわかりにくいとの意見もあるようです。確かに一般的な経済小説がくどいほど背景を説明しているのに対し、本書での背景説明は簡略ですから金融業界外の方には不親切と感じられる部分があるかもしれません。ただ、説明が不十分というわけではありませんので、良く内容を読み返してみればわかるのではないかと思います。ありがたいことに著者の文章は東大卒エリートの特徴、即ち、網羅性と必要十分性は必ず確保する傾向がありますので、必要最低限の知識は本書のなかでも得られます。勿論、業界人は無駄な説明が省かれたスピード感のあるストーリー展開を楽しめるのでお得ですね。そういえば、金融業に勤めていて良かったと思える経済小説を読んだのも久しぶりです。
いずれにしても大変面白い作品なので、是非ともご一読されることをお薦めします。専門分野の難解さは推理小説を読んでいる気分にでもなって、金融業界の裏を暴きだす楽しみとされても良いのではないでしょうか。