物事の本質を鋭敏に見抜く、異能のパロディスト、マッド・アマノ氏が、日本人の謝罪会見に目を投じて10年、もはや日本特有の様式性を持ってしまった「頭下げ」は、すでに謝罪文化という一つのジャンルを築いた。何か問題が発生する度に、深々と頭を垂れるその図柄は、すっかり儀式化され、様式化されて定着してしまった感がある。そのため、何のために謝罪をするのか、誰に何を吐露して謝罪を行うのかという本質がすっかり見失われてしまった。謝罪主体も、それを見る側も、その儀式性に埋没して、真相を明らかにすることを怠り、責任の所在を曖昧にしてしまう。これでは同じ過ちが何度も繰り返されてしまう愚を犯しかねない。日本人は、「謝ったんだから水に流そう」という古来からの大衆心理も働くが、著者は、そういう曖昧な部分を深くえぐり、「謝罪会見」という公的なけじめのつけ方に、鋭い問題提起をしている。著者は企業、大学、芸能人、その他、さまざまな人々の「謝罪」を窓口にして、現代日本社会の特異で興味深い実像を浮き彫りにしている。