リアル社会学とネット文化を上手に結び付けて、1990〜2010年までの社会変化の分析には目を見張るものがある。ロスジェネと称される世代が一般企業内で空白し、技術継承の断絶を招いたという論調は、著者自身が毎日新聞という大企業で働いた経験から、職場で前線を担うべき30歳前後世代の欠落と、秀逸ブロガーを中心とする政治・社会状況分析力が、消耗部隊である新聞記者の能力を凌駕してしまった、という切り口から展開される。
最前線のブロガーは、いわば個人趣味でボランティアとも言えない、個人運動家ともいえる存在。そういう時間を自由に使える人を相手にしたら、毎晩締め切りに追われる新聞記者は太刀打ちできないかもしれない。そうは言っても、ブログは「見る人しか見ないミニメディア」であって、情報発信力はテレビ・新聞等のマス向けとは雲泥の差がある。そのことは著者も認めながらも、大メディアがいずれはブログ・メディアに引っ張られるという希望を含めた論説を展開している。
一般意思2.0の構想については、いくらITがすすんでも、こればかりは大衆の性質に大いに関係するテーマなので、著者の提案通りには行かないだろう。そんな便利なシステムがあれば、ネットを利用しなくても実現できる。サンプル数の問題だから。論理が破綻しそうなところで、小沢一郎の報道問題を最後に取り上げ、マス・メディア批判で締めくくったのは、ちょっとごまかしなのではないか。
有用ブログを巻末で紹介しているが、読みごたえのある論考に当たる確率は実は低い。著者はリーダーソフトを使って、毎日、長時間かけて情報収集しているようだが、一般人にはそんな時間はない。そういう「確度の低さ」については著者は時間のない庶民にどういうアイディアを提供するのか。確度の違いこそが既存メディアとの力の差であって、情報洪水は、清濁合わせてどちらも存在している。情報選択の具体的技術を著者は提供するべきだろう。