850枚を一気に読ませる。
ラストに向かって次第に文章は熱を帯びてゆき、作者が憑かれたようにキーボードをたたき続ける姿が浮かんでくるようだ。
登場人物に憑依されたイタコのようである。
同じ保育園に子供を通わせる3人の母親。
涼子は勤め人を夫に持つ平凡な主婦。子供は0歳児で、育児ノイローゼになる。
五月は売れっ子のモデル。夫と不仲で不倫をしている。
ユカは作家。作者の自画像を色濃く投影させている。夫と別居中で、薬中である。
3人の母親の孤独と苦悩が、それぞれ一人称で順繰りに語られていく。育児の日常を虚飾なしに描きながら、物語は三人三様のカタストロフィへと進んでいく。
しかし最後は、それぞれがぎりぎりのところで、破局の一歩手前で軟着陸する。予定調和的な、いささか安易なエンディングという印象があるのは、最後に来て3人の女と関わる男たちが急に物わかりのいい人間になってしまうせいもある。しかしそれが物語の大きな瑕疵にはなっていない。
読んでいる間、昨年の秋(2011年)に見た園子温監督の「恋の罪」が頭の中で幾度かオーバーラップした。
女性というのは、新しい生命を産み育む母なる大地であると同時に、赤子を引き裂き森を疾走するバッカスの神女の狂おしい破壊性をも持ち合わせている。理不尽で過剰なものをマグマのように内に秘めているのである。性のダブルスタンダード、母性という幻想は、本当はこうした女の部分を封じ込めるための人間の知恵なのかもしれない。
作者が意識上作品に込めたものとは直接関係ないのだろうが、そうした視点でもこの作品は十分読みごたえがある。
余談だが、この作者の薄化粧のときの屈託ない笑顔は、お若いころの瀬戸内寂聴さんに似ている。