マクルーハンは竹村健一が紹介してなかったら、もっと評価が高かったろうにな。まぁ竹村健一自体はとってもマクルーハン的な存在であるが。この本は「パラグラフ・リーディング」による精読って講義の形を取っていて、(難解というよりは)不可解な、(よって魅力的な、)マクルーハンのメディア論が、とても分かりやすく、まとめられている。
マクルーハンの言語表現や存在自体がモザイクって言うか一面的じゃなくて、様々な解釈を可能にするスキがあるとこが面白いよね。つまり、マクルーハンとはメッセージじゃなくてメディアなんだよな。このメディアって言葉自体が曖昧で多面的に解釈できるとこがミソ。今だったら、「メディアはメッセージである」ってのは、「コンテナー(こそ)はコンテンツである」とか、「コンテクスト(こそ)はコンテンツである」とか、言い廻せそうだよね。
今のネット社会をマクルーハンは予見してた!みたいなことも言えると思うんだけど、そこはマクルーハンの言葉が如何様にでも解釈できるってのが大きいと思うな。マクルーハンが言ってることがネット社会を予見してたかどうかはわかんないけど、今のネット社会がマクルーハン的であることは確かだろうね。最初期のWebブラウザの名称は「モザイク」な訳だし。
それにしても「情報を移動させ、情報に情報を塗りつけることで、どんなメディアも巨大な富を生み出す」とか、「人間は現在も未来も見えず、未来だと思って見ているのはバックミラーに映った過去にすぎない」みたいなアフォルズムって、普通の学者だったらビビって言い切れないところを直感的に、軽率に、曖昧に、しかし鋭く言葉にしていく感性の賜物であって、それって一言で言うと何なんだろうなぁ、学者じゃないし芸術家でもないし...存在としてはトリックスターだと思うんだよね、そして消費される学者。そういや、ニッポンのクリシンはどうしてるんだろう?