【導入部の要約】
クラスで浮いた存在で協調性のない瀬里奈を、主人公の律はどうしても意識してしまう。
瀬里奈は、もともとトイレの掃除用具入れの中に入ってじっとしていると楽しいと感じる不思議な女の子。
なぜ楽しいのかを、しどろもどろと律に話しますが、彼女は人と違った感性を持った少女であることがわかります。
ある日、律は用具入れにこもった瀬里奈に、「世の中には、もっと綺麗で楽しいものがいっぱいある。――私が教えてあげるよ」といい、『くるみ割り人形』の絵本を読み聞かせます。すると、瀬里奈は、魔法がかかったように別人になってしまいます。『くるみ割り人形』のマリーになりきってしまうんです。
瀬里奈は毎日『くるみ割り人形』を読み、マリーになりきることでクラスメイトたちが話しかけやすくなり、良い方に変わっていきますが……。
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【感想】
二部構成の物語です。
第一部は、小学生時代を描いています。
第二部は、いきなり律が大学生になっています。回想シーンが多くて、第二部は第一部に比べて読みにくく、少しばかり説明的で、長々とした印象です。
変わってゆく瀬里奈は、「マリー」というペルソナをかぶることで、世の中に溶け込めるようになります。大人の場合も、生活しやすいように、便宜上ペルソナをかぶって生きますが、瀬里奈は小学生の頃から大人になるまで同じペルソナをかぶりつづけるのです。このペルソナは、世の中というドアを開けて、一歩踏みしめるまで、保護の役割を担っています。「キャラ化」という語も想起させられます。「マリー」のペルソナをかぶるにしても、キャラ化するにしても器用にこなしていて、いつまで続けられるのかと瀬里奈の息苦しさを感じました。
世間一般の人から見ると、本当の瀬里奈より、「マリー」になりきった瀬里奈の方が、受け入れやすく神秘的で同性が見ても惹かれるほどです。瀬里奈に複雑な感情を抱きながらも心配する律が主人公なのに、瀬里奈の方が個性的で強烈です。「マウス」には、「臆病者。内気な女の子」という意味があって、自分がそうだと律は思います。二人は、実は似たもの同士です。
本当の瀬里奈は受け入れがたい人物として描かれていますが、この小説そのものも同じあやうさがあります。可愛いタイトルと表紙のイラストに惹かれて気軽に読んでみたら、小市民的日常を戦うように生きている少女たちの姿に、うっ! と抵抗を覚えるかもしれません。
「マリー」になりきって生きてきた瀬里奈と、本当の瀬里奈。どちらも愛おしい「キャラ」です。今までに読んだことがない、変わっているけれど素敵な話でした。