これは大きな困難に直面した家族が、愛の力で再生できるのかを問う普遍の物語です。ただ、「愛の力で再生する家族を描く映画」ではなく、あくまでも「それができるかを問う映画」と私は受けとめまた。
サムは、戦地での恐怖の体験からまるで別人のようになってしまう。彼は、もともとプロの軍人であるから、人を殺すことを学び、それに習熟しているはずである。だけど、そうした能力を極限的に発揮せざるを得ない限界状況に追い込まれたとき、人間はどうなるのか? サムのPTSDは限りなく深いように思えます。友情はむろんのこと、夫婦やや兄弟との関係は、意味を持つのか?
ある意味で「狂って」行くサムという人物をトビー・マグワイアは、鬼気せまる演技で演じています。それは、へたをするとスリラーになってしまうぎりぎりの演技。しかし、その「過剰」さが独走してしまうのを、弟役のジェイク・ギレンホール、妻を演じるナタリー・ポートマン、父親役のサム・シェパードらが防いでいる図式ですかね。凄いです。
ナタリー・ポートマンが演じるグレースは、若いときは色々あったかもしれないが、結婚後は一筋に生きてきたような女性。夫の「死」が伝えられ、トミーが次第に心の支えになって行ったある日、彼にマリワナを薦められ、一瞬躊躇しながら、「わたしだって昔は、チアガールやってたし...」というようなセリフを言うときのさりげない変貌の演技は、ポートマンならではのもの。「破綻なく」生きてきた女性が、予想外の事態に直面し、追い詰められる女の演技も、流石と思わせるものでした。
長女のマギーの誕生パーティーでサムがキレるシーンが凄い。
次女のイザベルが、風船を手でギシギシ言わせはじめる。母親は注意をするが、彼女はきかない。すでに「普通」ではない表情のサムの表情がみるみるけわしくなっていく。そして、その場がある種の「破局」に向かって行く。特に、イザベル役の子が強烈な上手さの演技を見せるが、彼女だけでなく、すべての出演者が最高の演技を見せます。
ラスト、彼らは果たしてこの先うまくやっていけるのだろうか、という不安を残して終わります。もちろん、ここには『希望』もあるようにも映ります。だけど、この夫婦、もう元には戻れない気がします。また、元に戻らないほうが悪くない選択とも。そう思うのは、私だけでしょうか?