出版当時に読んで感銘を受け、その後絶版状態になっていて今の人が読めないのが惜しいと感じていた本。
日本では70年代末から80年代にかけて一大SFブームが起こっていた。創元推理文庫とハヤカワSF文庫を筆頭として数多くのSFシリーズが出版された。朝日ソノラマ文庫などでジュブナイルSFとして今のライトノベルの原型が出来たのもこの頃であった。
そうした流れの中で、古くは小松左京や筒井康孝や星新一、それらに続いて堀晃、川又千秋、神林長平、大原まり子といった作家が出て来た。
彼らのような作家の中で寡作ゆえに埋もれてしまいがちだが、SFにとって「良い時代」であったために良作を産んだ作家がぽつぽつと存在した。
水見稜もその一人であろう。
正直あまり名前は知られておらず、知られていてもこの「マインド・イーター」と「夢魔の降る夜」ぐらいでは無いだろうか。1989年以降新作も書いていない。
だが、本書の解説にも書かれているが、当時のSFブームの中で日本のSF文学が到達した一つの完成形、と言える作品だと思う。
文章力や構成等、まだ荒削りなところは残っていたが、出版時に一読して「ああ、日本のSFが海外作品に並んだんだな」と感じたのを覚えている。当時、高千穂遥などが「日本のSFにも、海外作品に負けないすばらしいものが沢山あるんです」とわざわざ宣伝していた頃である。
SFと言うのは不思議なジャンルで、きちんとした設定が無いと話が破綻するが、設定に懲りすぎると嘘くさくなり後々残らないような話になりがちである。最低限の前提を”科学的な想像力を生かしたウソ”として設定し、それを基盤に話しを組み立てていく力を必要とする。クラークなどはそれが上手い作家の一人だと思う。
この本も、水見が必要とした”ウソ”はほんの僅かだ。科学的な構成よりもそこに生きる人間を浮き彫りにする事に力を割き、SFであってSFで無いスタイルを完成させている。彼以降、こうしたスタイルの作品が増えていった。
継続して新作を著していないのが惜しまれる作家である。