【顔】が印象的な映画だ。
多くの【顔】は世界各地の現地の方々の姿。
『男の顔は履歴書』などというが、多くの【顔】は何かを雄弁に語っているようで迫力がある。
この映画
前作にあたる『コヤニスカッツィ』と対になっているとのことだが、単独で観てもこの映画のテーマが『南北問題』であることはわかると思う。
環境や文明批判的な訴えは前作に比べ控えめで、代わりに訴えられるのは(いわゆる先進国とは)別の条件(環境)で生きる人々の姿だった。
それぞれにけして楽な暮らしとも見えないが、良くも悪くもそれぞれの個別性(多様性)の中で生きている姿を映画は淡々と捉える(その分前作に比べ激しさは少ない)。とくに夥しい数の【顔】を繰り返し映す。無邪気な希望に満ちた子供や生活の中で闘う大人の顔…。(どうゆうわけか若者の顔はあまり映っていない)
そして、物質的に豊かとされる先進国の姿はテレビ映像のコラージュの姿でのみ写される。
それを求める人々にとってはまるで幻のようだろう。(ゴミだらけのバラックの上に大きく掲げられた腕時計の看板広告が蜃気楼のようで象徴的だった)
これは格差と捉えるべきか、多様性と捉えるべきなのか。
明確な答えもなく映画は終わるが、最後にタイトル『ポカワッツィ』の意味を
『自己の繁栄のために他人の生命力を他人の生命力を食い物にする生き方』
と説明された時に、それが『南北問題』を説明していると気がついた。(もちろん食い物にしている生き方をしているのは『北』)
前作よりも(ある意味)深いテーマに踏み込んでいったように(私は)思うが、娯楽性というか映画的な刺激は少なくなったようだ。
それは扱うテーマゆえだと(勝手に)思っています。