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27 人中、23人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
面白いです。,
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レビュー対象商品: ポスト戦後社会―シリーズ日本近現代史〈9〉 (岩波新書) (新書)
極めて興味深い最新の研究成果を一般向けの新書という媒体で送り出してきたこの岩波新書「シリーズ日本近現代史」もついに『ポスト戦後社会』を迎えた。政治・経済・社会・文化・家族・・・。「戦後」的なるものが崩れ、変容していくその様を描き出すのはカルチュラル・スタディーズの吉見俊哉。このシリーズは歴史学者が担ってきたことを思えばこの人選は一見ちょっと奇異かもしれないがおそらく大成功だ。高度成長以後の「ポスト戦後」は描くのが難しい。どんな切り口で攻めるのか。どんな史料にあたれるのか。経済史家として高度成長期を追った武田晴人『高度成長』(岩波新書。同シリーズ第八巻)は高度経済成長と社会変容の関連についての分析が希薄だし、戦後60年目に刊行された中村政則『戦後史』(岩波新書)もまた前半はとても面白いものの後半80年代以降になってくるとどうしても出来事、事件の羅列になってしまい息切れの感が拭えない。「ポスト戦後」を歴史家が描くのはなかなか難しいようだ。そのような中、本書の著者吉見俊哉はカルチュラル・スタディーズや家族社会学、都市社会学、メディア論、地域社会研究などの分野の蓄積を駆使しつつ現在進行中の「戦後的なるもの」が崩れていく過程を生き生きと描き出すことに成功している。また、「戦後」の終焉の中から見えにくいけれどもかすかに新しい変革の芽が登場しつつあることも見逃さない。「私たちが生きているのはグローバル化の時代だが、このグローバル化は一枚岩的なものではなく、異なる複数の未来に向けられている。」「「グローバル」という地平には包摂されえない無数の人々の声や心情が、一体化する世界といかに結び付き、新しい社会のどんな歴史的主体を可能にしていくかに、21世紀の歴史は賭けられているのだ。」単に戦後的な「平和と民主主義」の尊重を叫ぶでもなく時代の変容を読み解きその先の構想・創造を訴えるその姿勢に共感する。
17 人中、14人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
視野を広げる −70〜90年代の総括−,
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レビュー対象商品: ポスト戦後社会―シリーズ日本近現代史〈9〉 (岩波新書) (新書)
70年代以降の日本を俯瞰する、大変分かりやすい新書。 70年代にイデオロギーの時代が終焉し、 80年代に経済的な成長はピークに達し、 物質的な価値観が支配的になる。 そして90年代は相次ぐ天災、テロにより、 日本は初めて不安定な時代を迎える。 同時に国民の経済格差が健在し、 00年代の基調を形成していく。 政治、社会の流れが30年に渡ってまとめられており、 現在の経済状況は過去からの連続性の中に位置づけられていることが分かる。 当然なのに、忘れがちな視点である。 最後半に東アジアにおけるアメリカのヘゲモニーに関する考察が掲載されているが、非常に面白かった。 視野が広がる一冊である。
2 人中、2人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0
ある凝集と離散についてまとめた手堅い仕事,
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レビュー対象商品: ポスト戦後社会―シリーズ日本近現代史〈9〉 (岩波新書) (新書)
「もはや戦後ではない」と経済白書に記されたのは1956年であるが、“戦後”でないならじゃあなんなんだと問われれば、それはずばり「ポ スト戦後」である。とまぁ、おまえふざけているのかと言われそうだが (というものの実はこの造語は的を得ていると思う理由は後述)、本書 はそんなポスト・ポストウォーとしての日本を巡る現代史だ。 本書は戦後左翼、戦後産業構造、家族、郊外、平成不況、外交という 別々の六つの観点からこの「ポスト戦後」を論じている。数多の言説を 拾い集め、一つの論として現出化させるその著者の仕事の手際のよさ はさすがの一言につきる。 アメリカを震源とする<帝国>とマルチチュードが未だ軸としてあると最 終的には提示するが、そもそも日本がアメリカの勢力圏に入ったきっか けは敗戦。つまり「戦後」という時代区分と同い年なわけで、そういう意 味では「戦後」は続いているのだ。いくつ「ポスト」をおったてようと、ポス ト・ポスト・…ポスト・戦後と、「アメリカ」という名の「原父」はゾンビになろ うが生きているというメッセージが込められているとするのは、深読みの しすぎか? ただ、どうも見田宗介の言説の影響下にある東大社会学系の学者とい うのは、著者も含めてやたらと見田の唱えたあの「理想の時代」「虚構 の時代」云々という「物語」にこだわりがちなのだが、果たしてこれって どうなのだろうか。例えば、この本にも登場する永山事件の分析の箇所 は、大沢真幸『不可能性の時代』とほとんどまるかぶりといっていい。こ れを言っては元も子もないが、一つの事象で帰納法的にその時代を分 析するのって、よく考えたら極めて大それたこころみではないだろうか。 そもそも、「社会」学というのが尊大なネーミングなのだけれども。 「若者たちは内的自我を空洞化させてきた」らしいのだけれど、じゃあそ の「ポスト戦後の若者」の空洞部分、「戦後」の若者たちには「つまって いたもの」は、一体何だったのかを教えてほしい。 ということで次回著者には、この「見田言説の圏内」からのエクソダスを 期待したい。
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