ジャン・フランソワ・リオタール
「大きな物語の凋落」を提唱し、現代思想におけるポストモダンを拓いた人物である。
本書におけるメインテーマが「大きな物語の凋落」という概念。
社会の成員が共有する価値観や理念、イデオロギーなどがその支配力を失うというものだ。
よく宿敵といわれるハーバマスとの違いを少しだが考えてみよう。
ポストモダン:
「大きな物語」はなくなるけど、真理の不在を積極的に肯定して、その先の社会を考察してみよう。落としどころとなるシステムはあるのかもしれない。
討議理論:
何が正しいかどうかは、理性をもって討議して決めるべきだ。そのためには多くの人が参加できる討議の理論を整備しなくては。
と言うことが出来る。
また本書では、ポストモダンの社会モデルを考察することも、まだ漠然としているが試みられている。
当時の社会に即した例を挙げて、ポストモダンを分析している項があるのだが、
『知の欺瞞』曰く、間違った用法で数式や理系の専門用語が用いられている。
実際引用するに値するかアヤシイ場所があるので、本書の優秀な点は、「大きな物語の凋落」とその周辺理論だけと思った方がいい。
実は評者が論文に使おうと思っているイカス場所があるのだが、秘密ですm(_ _)m
たまにいらっしゃるのだが、なんでもかんでも『知の欺瞞』を振りかざし、対象の内容に関わらず攻撃する方がいる。
これは私見だが、(少しだけ自信有り
知の欺瞞で晒されたリオタールとボードリヤールに関して言えば、
インターネットもない時代に、高度情報化社会を説明しようとして知らない専門語句をアホな使い方をした。そしたらすごく批判された。
というのが簡単すぎますが、事の顛末な気がします。
はて、どこか直近で見た気がするのですが、
『知の欺瞞』を使いながらも、『知の欺瞞』で批判されたような意味のない語句の羅列や、不必要に難解な表現、といいますか明らかなデタラメ、で書かれているレヴューが目に入りました。
たまにいるんですよね、アラン・ソーカルの思惑を無視し、『知の欺瞞』をその適用範囲を越えて乱用する人が。
『知の欺瞞』の功績と、ほんの少しだけの問題に関しては、評者の『知の欺瞞』のレヴューをご覧くださいませm(_ _)m