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この著者の基本姿勢と目される「顕在/潜在の世界」観をベースにして、「ポケモン」ないしTVゲームを、付け焼刃的なラカン理論で、一丁分析してみよう、という試みのようだ。
そもそもこの人は、精神分析に明るい作家なのだろうか?
あまりそういうイメージはないのだが、この本では、やたら「対象a」だの「$◇a」だのといった不可解な概念が、ごく簡単な説明ののち、さんざん振り回されている。それがほんとうに当たっているのかどうか、判断しかねる。
インベーダーもウルトラ怪獣も、野牛の群れも、蛙の卵も、著者によれば、「対象a」の表現らしいが――仮にそれについて同意するとしても――、さらに著者が、ラスコー洞窟の壁画も「対象aの表現化」である、とまで言い及ぶに至っては、読み手として、さっぱりワケが分からなくなるのだった。
(おもうに、著者は、AでもBでもCでも、とかく同一視しすぎる傾きがないか?「AとBは似ているが異なる」といった思考法・文章が、ほとんど見うけられない。)
さて、結論的には、「ポケモン」が「対象a」とやらを飼い慣らすことの出来た素晴らしいゲームだ、ということらしい。
(78頁にこうある――『ポケモン』のゲームは、現代の文化がどの領域でも扱いかねている、「対象a」というやっかいなしろものを、みごと統御することに成功しているのである。)
が、そう言われても、こちらとしては、腑に落ちない。「さあ、どうかな」と思うばかりなのだ。
無数のゲームソフトは、著者によれば、「子ども用電子娼婦」だという。
ならば、その中で「ポケモン」がどうして、こうも特権化され、称揚されるのか、やはり、結論先にありき、という印象を拭えない本であった。
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