この本は面白い。普通の自伝と異なり、時系列はここでは意味が無い。一風変わった才気あふれたフォークシンガーとして、音楽業界を駆け上る自信に満ちた初契約時のボブ、膨大な書物やレコードで必死に勉強していた修行時代の60年代初のボブ、時代の寵児として勝手に祭り上げられた自分に抵抗し、家族人であろうとする60年代末のボブ、ソングライターとしての限界を感じ意欲を失いかけていたが、一人のプロデューサーとの出会いで復活する80年代末のボブ、ジョーンバエズやジャックエリオットの才能におそれを感じ、ロバートジョンソンのレコードに衝撃を受けるデビュー前のボブ。これらが時間の流れをズタズタにして1章ごとに物語られる。
全編を貫いているのは、あれほどの奇跡のような超然とした傑作レコードを何枚となく発表してきたボブディランが、あまりに人間らしく煩悶しているさまである。そして超然としているかにみられるボブが、実はその煩悶のさなか実に多くのレコード(何とラップまで!)、ステージ、演劇、文学そして絵画に至るまで、すべてのものから何かを学ぼうと必死に探求しているさまである。この人が神のようなきらめきをその曲に残したのは確かだが、別にこの人は神ではなく、一人のミュージシャンである。そして彼が人並みはずれた才能を発揮したのは、実はこの自分に対する確信と迷いを激しく繰り返してきたことと、その探究心であったのだ。この本には、そのことが書いてある。そしてひょっとしたらこの本は、僕のような凡人が、彼のような素晴らしく独創的な表現者になれるヒントが含まれているのかもしれない。
それは別にしても、読みやすい文体に無理のない訳文で、一気に読めるし、また時系列を無視したのが効を生して、物語には起伏があり、早く頁をめくりたい衝動にかられる、楽しい本であった。おすすめ。