「帽子の記憶」の章が完結です。
アダルトチルドレン的思考に満ち溢れた8歳児輪(@蓮に憑依中)が再び大活躍です。
相変わらずありすに依存しまくり。「そうそう、輪ってもともとこういう奴だったよなぁ」としみじみしてしまいました。
蓮がなぜこんなに輪(と紫苑)の思考に影響されるのかが、やや疑問でしたけど(蓮の内面はありす似で、愛情に飢えてもいない)、やっぱりカチコちゃんにいいとこ見せたいとか、精神的にまだ未分化な子供(一応)なわけで、他人の強烈な思念に影響されやすいとか、輪とはやっぱ血を分けた親子だしね・・と無理やり納得させてみた。
で、子供の輪(つまり紫苑でもある)は相変わらず痛々しくて、気の毒だった。
戦場で一人生き抜いてきた紫苑と、母親からの拒絶を経験している輪。
2人分の「見捨てられ感」がビシバシ伝わってくる。
それを正面から受け止めるのが、父親である輪。抱きしめて支えるのが母親の亜梨子。
日渡先生は、この章で、蓮の姿だけを借りる形で、実は8歳だった輪の救済を描きたかったのではないかと思った。
「僕地球」と「ボク月」の違いは、大人の輪がいるかいないかということ。
今、時には「ダメダメ父」といわれるくらいに「フツー」に振舞え、社会に溶け込み、他人が安心して接することができる程に心の成長を遂げた23歳の輪がいる。
その輪のモノローグ。8歳輪に対して、「(・・そういう所が)子供なんだよ!」とさらっと言える所。
子供だった輪を「コドモだったなあ」と思えるところ。
そこにものすごい救いを感じた。巻末で紫苑が笑ったところもよかった。
親として、大人としての対応ができる輪を、頼もしく感じた。
「ボク月」のなかでは長く暗いエピソードだったけれど、私はこれが執筆されたことは、とても意義のあることだと思った。