下巻は、ペリー艦隊が江戸湾に再来航し、横浜に上陸して、林大学頭ら日本の交渉代表団と歴史的な「日米和親条約」を締結する前後の経緯が詳述されている。
「ポーハタン号上で日本の委員たちに出された正餐は、その量においては、少なくとも日本人が出した料理の二〇倍はあっただろう」という提督が振舞ったご馳走は、「飲めるだけの酒をしたたか飲ん」だ強烈な食欲の日本人が残り物を「ふところに詰め込んで持ち帰った」ほどの「大量の珍味佳肴」だったらしい。黒船の威容とともに、「舌妙」(?)なこの接待外交が日本を開国に踏み切らせた要因だったかも知れない。
開港予定地の下田と箱館を訪問したペリーは、丹念な測量調査のうえ、蒸気船投錨地としての適否を確かめる。「日本人特有の礼儀正しさと、控えめだが愛想をそなえている」下田の住民に好意を寄せながらも、男女が平気で混浴する風俗習慣にピューリタンらしく眉を顰めている点が面白い。また、日本政府(幕府)の意向を無視できないペリーが、旗艦を密かに訪れた若き日の吉田寅次郎(松陰)らの乗艦を拒絶した脱国未遂事件にも触れていて、松陰がのちに遭う過酷な運命を思うと感慨深い。
「合衆国と日本とのより親密な関係から生じる相互利益のために、不法な侵略ではなく、友好的な通商を求めていることを示したいと願っていた」米国が、練達の沈着冷静な海軍将官ペリーを友好使節の長として派遣してくれたことは日本にとっても僥倖と言えたのではないか?そのことは、条約の批准交換に日米間を往復したアダムス中佐が、旧知の日本側交渉委員たちから健康問題で帰国したペリー提督の安否を尋ねられ、尊敬すべき「提督の名は永久に日本の歴史に残るだろう」との友情と思い出の籠ったメッセージを託されたことからも推測できる。