「新聞は当然、何事があろうとも楽観主義をという、つねづね教えられている禁令に従っていた。新聞紙上でみると、現在の事態の顕著な特色というべきものは、すなわち市民が示している「平静と沈着との感動すべき実例」であった。しかし、(中略)市当局によって示される「実例」などにだまされる者はなかった。」(283p)
これは本書後半で描かれるペスト流行期の町の様子なのだが、何人かの他のレビュアーの方も触れている通り、震災後の日本のメディアと行政による放射能汚染への対応にまるっきり被るのが寒々しい。本書の大半は閉じ込められた町の中で人々がじわじわと死と向き合う描写で、実際、僕は途中までカフカを読むような心地で本書を読んでいたのだが、同じ「不条理文学」の一言で一纏めにされがちなカフカと違い、カミュは医者、新聞記者、役人、神父、犯罪逃亡者、ボランティア等など、様々な登場人物が各々の立場で「死」という逃れられない運命を前にいかに考え、煩悶し、抵抗/行動するかということを描写している。そのタッチは冷静で理屈にあった説得力とリアリティがあり、「不条理」でも何でもなかったりするのだが、敢えてこの言葉を使うなら、そのような個々のエピソードを包含する「世界」、そして何よりも「死」という誰も逃れられない運命に直面することこそが「不条理」なものなのではないだろうか。
上記のような生死論、南仏の太陽の光、といった要素は他のカミュの作品でも共通するなのだが、二十年程の短い作家人生のうち初期の五年を費やした本書は他の作品と違った緻密な構成とポジティブさがある。(登場人物の各々の役割や時代背景については訳者の解説が詳しい。)長い作品だが、突如終盤にストーリーが大きく動き出して、個々の登場人物の運命も激変するので、じっくり味わって読んでほしい。
それにしても、全体としては暗鬱としたストーリーなのに不思議とポジティブな読後感を与えられる点も「不条理」と言えなくもない。勿論、カミュの評論を読むと彼にとっての死生観や「不条理」の哲学はポジティブな要素を含んでいるので、これも当たり前と言えば当たり前なのだろうが。