貧乏学生だった昔,学食の昼食を何食か抜いて浮いたお金でレコードを買っていた.いろいろな曲を買いたいから,廉価盤や輸入盤を探してはレコードを増やしていった.そんな身には,同じ曲の別の演奏家を買うなどはとんでもない贅沢で,考えられないことだった.大好きなベートーヴェンの弦楽四重奏曲も例外ではなく,当時あこがれであったスメタナにするか,ブダペストにするか一週間以上悩んでいた.なにしろ,廉価盤ではないのだから.その結果,ブダペストにした.その選択自体は後悔していない.とてもすばらしいもので,毎夜毎夜ヘッドフォンで聴き続けた(スピーカーがあまりに貧弱だったから).興奮し,歓喜し,落涙する日々だった.
そのときの自分の感動を大切にしたいので,その後社会人になってからも,アルバンベルクも,ジュリアードも,ラサールも聴く気になれなかった.しかし,スメタナだけは自分の中で心の痛みのような憧れとして残っていた.そして,ふとしたことから,ついにスメタナを聴いた.
モルトアダージョの,天上を思わせる澄み切った響きはどうだ!こんな音楽がこの世に存在していいのか.こんな音楽を聴いた人間はどうすればいいのか.悲しいわけではないのに,涙があふれてとまらない.今日までの自分の人生を振り返って,幸せで満足なのに,寂しい.なんという音楽なのだ,ベートーヴェンは!そしてスメタナは!!
ああ,聴くんじゃなかった,スメタナなんて.これから死ぬまで,いつもいつも迷い続けるだろう.「今日の夜はスメタナにするか,ブダペストにするか.それとも我慢するか.」だって,聴くチャンスが,実際に聴いてしまうたびに一回ずつ減るのだから.