1989年9月24日、朝比奈隆とベルリン・ドイツ交響楽団によるベルリンでの『エロイカ』。周知のとおり、その後まもなく「ベルリンの壁」は崩壊する。
この演奏が何よりも素晴らしいのは、指揮者・朝比奈が僅かなりとも“よそ行き”になっていないところであり、大阪フィルとのライヴや同フィル、新日本フィルとのディスクに聴くベートーヴェンとそのスタンスにおいて相違がないことである。その点では、朝比奈のパフォーマンスは、東西冷戦の終結と東ドイツおよびその衛星国の瓦解という時代思潮とも無縁であったとも言える。
両端楽章の微動だにしないインテンポ、地響きのようなハーモニー、慌てず騒がずしかし心をこめて奏でられる楽音は、刺激的にやろうとか、驚かせてやろうなどという小賢しさは皆無であり、ただただ踏みしめるように『エロイカ』そのものが滔々と大河の如く流れる。これは驚くべきことだ!! こういう指揮者は他にはいないからだ!!!
アダージョの葬送行進曲のテンポは概ねスローなインテンポを基調としながらも、懐の深い変化を見せる。その趣きは、フルトヴェングラーのドラマチックな悲愴美とは一種異なった壮絶なものであり、ここは本ディスクの白眉である。まったく感服させられた!!! ピアニッシモで沈潜する部分などは息をのむほどの緊迫した佇まいであり、フォルティッシモの爆発は外面的なものではなく、これこそ凄絶な高揚を見せる。
朝比奈には熱狂的な信者とも言えるようなファンが少なくない一方で、彼のやり方を「無手勝流」だの西洋音楽の和声に対する感覚を欠いた“浪速流”と揶揄する向きもあるようだ。それは一面当たっているのだろうが、マゼール、チェリビダッケ、朝比奈と短期間に接したブルックナーの第8交響曲のライヴでは、圧倒的に朝比奈が感動的だった経験もある。「トーシロー」には聴き取れない音響や和声上のあれこれもあるのだろうが、本ディスクのライナーにあるシカゴ響総裁の絶賛する一文をみても、トーシローの感想がすべて間違っているわけでもあるまい。
少なくとも、この『エロイカ』を耳にする限り、朝比奈こそ<リアル・コンダクター>だと言いたくなる。