ごく短い9つの物語に、不倫をとりまく人間模様が、角度を狭めてピンポイントで描かれる。それぞれの物語の空白感が面白い。何かが足りないと感じながら生きている空虚さが濃密だ。世の中の大切なことや重要な決定は、どこか自分の知らないところで進んでいる、という感じ。
「父の水餃子」は、実父の井上光晴を色濃く反映していて味わい深い。「目玉焼き、トーストにのっけて」のアバンギャルドな暴走ティーンズは、井上にしては異色作でこれまた面白かった。
だが、白眉は「煮こごり」だ。興味深いなぞの老人鵜飼をめぐり、周辺の女たちが右往左往しながら、結局鵜飼については何一つわからないまま物語が終わる。人生がわかると思うことなんて、錯覚に過ぎないと、強烈に思い知らされた。