この著書の全体的な目的は、ベルクソンにおける「持続」、「記憶」、「エラン=ヴィタル」という三つの概念が互いにどのような関係にあり、どのように作用しあい、それらがベルクソンの哲学をどのように構成しているのかを描き出すことである。そして、ベルクソンの純粋持続を単なる自己の内的な持続から区別し、記憶-記憶内容としての過去と、集約としての記憶-収縮という二つの側面が共存する潜在性であると強調したことは、ドゥルーズのベルクソン解釈における最も優れている点のひとつである。さらに、この潜在性としての「純粋持続」が、ドゥルーズ自身の思考体系を理解するためのきわめて重要な要素であることは言うまでもない。
この著作以降のわれわれは、ベルクソンを単なる心理主義や神秘主義に還元したり、持続を自己の内的な継起と混同してしまうような議論に対し、十分な警戒心を持って望まなければならない。