まず、レポートや何かでベケット「について」調べなければいけないというひとにはまったくおすすめできません。伝記的事実はほぼ皆無だし、個々の作品を時系列的に取り上げて解説して、というような本でもありません。これは、著者バディウが自身の個人史にも引きつけるかたちで、ベケット(の作品群)についての読みを展開してみせている本なのです。そういう意味では、ちゃんと読んだかどうかは別にして(笑)、少なくともベケット作品をひととおり「知っている」必要がありそうですし、想定される読者としても、ベケットよりはむしろバディウに興味がある方の方が多いのではないかしらん。
私が本書をおすすめしたいのは、ベケットの小説や戯曲を何かに突き動かされるように読んできた、確かにこの読書は何かとてつもない体験であった、しかしそれ以上何も言葉がみつからない、読み終わったテクスト群を前にして、どうにも飲み込めない大きな固まりが口中にあるようななんとも居心地の悪い状態を抱え続けているーーそんな(私のような?)方々でしょうか。少なくとも「それ」について語ることのできる言葉たちのひとつ(それもかなりよくできた)を得ることができます(そういう意味でドゥルーズの
消尽したものもまた、別の言葉を与えてくれるでしょう)。
私にとっては、バディウの読みはとても興味深いものでした。すごく乱暴にいってしまうと、「無」に限りなく漸近していくいわば衰弱の文学としてのベケット、という従来の像をひっくり返して、限りなく終わらないこと、思考を欲望し続けることによってこそ「真実と勇気」がもたらされるのだ、と「前向きな」ベケット像を提示している、と読めました。非常に刺激的だし、それなりにベケットを読んだ記憶とつきあわせても説得力はあると思います。が、あえていうなら全体が、方法的懐疑→孤独な主体→他者との出会い→愛→出来事(あるいは美)という、いかにも「哲学」的な線形の物語に回収されすぎている感があります。作品のテクストに立ち戻り、バディウ的なストーリーに回収されない新たな読みを見出すことによって、ベケットの多様性/豊かさを更新し続ける、というのが、我々個々の読者に残された課題、ということになるのでしょうか。