関東大会はベスト4で敗れたエーちゃん。プロへの最終関門である全日本ジュニアへの3週間を描いた20巻である。
・・・しかしこの20巻は特にそうだが、この作者は本当に「少年漫画的な安易なカタルシスに逃げない人」だと痛感。週刊誌での掲載順位は常に後ろの方。作品の質の高さと少年漫画的なカタルシスというものは本当に両立し難いことがよくわかる。一方でとうとうビジネス専門誌やテニス専門誌に特集が組まれて取り上げられるなど、所謂玄人筋での評価は益々高くなっているようで嬉しいことだ。
さて冒頭からなっちゃんとのデートで始まる20巻。
なっちゃんの自然な可愛らしさが全開といったところだが、それだけで終わらせないのが勝木光の凄さ。今回の恋愛パートもいつも通り単なる「読者サービス」では終わらせていない。ここでエーちゃんは18巻の「愛のチカラ」で感じたことに改めて答えと勇気を得る。なっちゃんにはいつも前に進む力をもらっている自分。しかし自分は彼女の力になれているのかと。それに応えるなっちゃんの簡潔な言葉が相変わらず本質を突いている。
「コートでは一人」「でも手をつないでいれば一人じゃないと思える」
男というものはそう言ってくれる女がいてくれるだけで、どこまでも強くなれると思えるものだ。
そしてそれぞれの戦いに立ち戻る二人。この作品の特徴としてテニスの試合と練習の繰り返しと、ほんの一時の休息が描かれるのみでそれ以外の日常がほとんど描かれないことにある。これは極めてリアルな描写だ。二人とも「プロ」を目前にしている高校3年生。「テニス」以外のあらゆる「普通の高校生の生活」を犠牲にしてかろうじて「夢を繋ぎ止めている」からだ。
それにしてもエーちゃんの練習や日常を見ていると、本当にこの少年はつくづく「気づきの天才」であると思わされる。
もう何年前になるか、ビジネスの自己啓発分野で「気づきの成功学」というものが流行語になったことがあったが、エーちゃんの驚異的なレベルアップは、全て日々のちょっとした「気づき」の連続に支えられていることがわかる。
なっちゃんとデートしていても、なっちゃんと手をつなぐだけのことに対しても、座禅の修行をしても、エーちゃんは何をしていても常に「前に進む為の何か」に気づく(彼女と手をつなぐぞ!とドキドキしている所で彼女の疲労に気づけるエーちゃんは、本当に高校生かと思う位タダモノではない)。ある意味これは超人的な心の持ち方だ。この漫画がとうとうビジネス誌の特集に載ってしまうのも、丹念にこういうところを描写しているからだろう。
中盤、日々の練習から一転してインターハイでの偵察の場面。ここでは全日本ジュニアランキング2位の神田がついに描かれる。
ついにというべきか描かれた「体育会」の背景。これまでのエーちゃんの進化そのものがその対極として描かれてきただけに、この先描かれるであろう神田との対決が楽しみだ。荒谷の口からも語られているが、ここで作者は「体育会系」を全否定の対象とはしていない。この視点は最近の少年漫画では善悪論の対立軸として描かれることが多いが、勝木光がどう描いてくるかお手並拝見というところか。
そして終盤。この巻の白眉となっているのが、全日本で敗退したときの将来に悩むエーちゃんの姿だ。
この場面は、恐らく一定年齢以上の誰もが同じような思いをした経験があるのではないか。受験でも、就職活動でも、仕事でも、誰もが同じような思いをしたことがあるはずだ。
生きていく以上、絶対に避けられない、逃げられない戦いは、誰にもある。
もし負けたらプロを諦めるしかない・・・その不安に初めて正面から向き合ったエーちゃん。不安と恐れを正直に見つめてみるエーちゃん。このシーンは20巻を通してのベストシーンといって良いだろう。
「なっちゃんに会いたい・・・」
ここでやはり勝木光の凄みが発揮されている。
こういうシーンで都合の良い女神のようなヒロインが現れて、優しく主人公を支えたりするのが「男に優しい少年漫画のお約束」であろうが、この作者の矜持とプライドか、意地でもそういう展開にはしないのである。
実際、ここでエーちゃんがなっちゃんに不安やら悩みを打ち明けても何も解決しない。結局は「エーちゃんの人生」でしかなく、デートシーンでなっちゃん自身が言った通り、「コートでは一人」だからだ。
だからエーちゃんは「なっちゃんに会いたい」と言いつつも、そのまま一人で抱えることを選び(男である)、最後なっちゃんに「私には何も言ってくれなかったのに」などと拗ねられたりする。
次の戦いに向けた3週間を10話で描ききった20巻。安易なカタルシスは全くないが、濃密な密度と心理描写が相変わらずハイレベルな一冊である。