「あきらめていない、すべての人へ−。」今回は、帯の一言がこの作品の本質を端的に表現できていて素晴らしい。
「ベイビーステップ」の魅力とは何か。よく言われるのは「リアルなテニス漫画」ということだろうが、前巻のレビューでも書いたように私はこのフレーズは正しくない、というか「それでは過小評価」だと思っている。
前巻のレビューでも書いたように、ベイビーステップで描かれるテニスが「リアル」かと言われれば、それは「ちょっと待て」という気がする。高校1年でテニスを始めた少年が2年と少しで全日本Jr王者と互角に戦うというのは、現実を考えれば十分「荒唐無稽」なのである。その意味では、幼少時から英才教育を受けた天才少年が主人公の某王子様漫画の方が余程「リアル」なのだ。
それでもなお、私がこの作品を前レビューで評したように「20年来の最高傑作」と評するのは何故か。
「あきらめていない、すべての人へ−。」
この19巻の帯の一言にその全てが込められている、といって良い。
ありえないサクセス・ストーリーを圧倒的な現実感で描く−。この絶対的に矛盾するテーゼを両立させた作品はかなり稀少だ。
私が前レビューで1980年代のスポーツ部門最高傑作として挙げた「バリバリ伝説」は、その系統の頂点に位置する作品だった。
1980年代前半、空前のレーシングバイクブームの中で生まれたこの作品は、普通の「峠のローリング族」だった高校生の少年が、鈴鹿四耐を目指してまずはノービス・ライダーになり、そこで優勝してB級ライセンス・プロになり、翌年には全日本の王者となり、さらに翌年にはHRCのワークスライダーとしてWGP最高峰500ccクラスに参戦し、ついには20歳にして史上最年少の世界チャンピオンになる−という、当時80年代にモーターバイクに憧れた若者なら誰もが憧れた「夢」を圧倒的なリアリティで描いたモータースポーツ漫画の最高傑作である。
16歳で普通に峠のローリング・キッズだった少年が、4年後にはWGP500ccの世界チャンピオン−。荒唐無稽としか言いようのないこのサクセスストーリーに当時少年だった私たちが圧倒的に引き込まれたのは、その「ありえないウソ」を緻密でリアリティ溢れる世界観(何しろ、現在ではありえない禁じ手として、エディーローソンやワイン・ガードナー、ランディ・マモラ、クリスチャン・サロン、ロン・ハスラムといった実在のGPライダーを登場人物として登場させていた)、技術の描写(主人公グンの超絶的なドリフト走行は、現実に”天才”フレディ・スペンサーが本当にやっていた。もっともスペンサーの異常な走り方は、今もって「解析不能」「物理法則の埒外」などと言われているが)によって、「ありえないウソを圧倒的なリアリティで描く」という難事に成功していたからであった。
アプローチは相当違うが、この「ベイビーステップ」が凄いのも、その「ありえないウソを圧倒的な現実感で描く」という至難の業を、あっさりと実現させてしまっているところだ。
よくよく考えてみれば、「高校1年でテニスを始めた少年が2年と少しで全日本Jr王者と互角に戦う」というのは某王子様漫画とは違った意味で十分「ありえない」のだ。しかし、この作品はそういう「いかがわしさ」を全く感じさせない「真摯さ」に溢れている。
「あきらめていない、すべての人へ−。」
繰り返すが、この帯のフレーズは、テニスをやっていない人も含めた「すべての人」へのメッセージである。
テニスでなくとも、すべての人が日常何かと戦っている。
19巻の作中のエーちゃんの戦いは、そのすべての人を勇気づけるものなのだ。
そこには、昨今の漫画で流行している「思考停止でしかない不自然な”燃え”」も「不健康な”萌え”」も全くない。あるのは、「すべての人間性に対する”真摯さ”」である。
作中、難波江との絶対的な実力差を悟り、エーちゃんは何とか「ゾーン」に入ろうとして見事に失敗する。この描写は非常に象徴的だ。
日本人は、「物理的な差を”精神力”でカバーする」という考え方が大好きだ。国民性といっていい。しかし、これは現実にはありえない非常に不健全な考え方だ(だから戦争にも負ける)。現実でさえそうなのだから、漫画の世界ではなおさらそういう非科学的な描写が溢れかえっている。
この作者が確信犯的に凄いのは、そんな日本人が好きそうな「安易なセオリー」を完全に否定して見せた点だ。
ここでエーちゃんは気づく。「そんなのは”挑戦”とはいえない。ただの自滅」だと。
そしてエーちゃんは考え続け、試行錯誤する。安易な精神論に依存せず、合理的に遂行しうる「勝てるビジョン」を求めて。
この間の流れの描写の質の高さは、背筋が寒くなる位凄みがあった。今、「これ」が描ける漫画家が日本に何人いるだろうか。