余りメジャーな作品ではなかったので手に取るのが遅れたが、この18巻から全巻をまとめ買いした。
まず一言あるとしたら、「この作品に出会うのが遅すぎた」。
私の35年の漫画暦の中で、スポーツ部門の最高傑作を選ぶとしたら、1980年代のWGP漫画「バリバリ伝説」、1990年代の柔道漫画「帯をギュッとね」を挙げる。「スラムダンク」のように瞬間風速的に凄い作品もあるが、全体の完成度の高さ、バランスを考えると、私の中で未だにこの2作を越える作品はない。
しかし、この「ベイビーステップ」は20年ぶりに私の中での殿堂ランキングが変わりそうだ。その位18冊の質の高さが尋常ではなかった。
この作品の魅力が語られるとき、よく某王子様漫画との比較で「リアル」という表現が使われる。しかし、私はちょっと違う、と言うか表現が足りないと思う。
比較対照としての某王子様漫画が酷過ぎるだけで、ベイビーステップで描かれるテニスが「リアル」かと言われれば、漫画がどう描いても「本物」にリアルさで勝てる訳がない。エーちゃんの「64分の1」や「81分の1」はどう見たって荒唐無稽ではあろう。
しかし一方で、ベイビーステップを「リアル」と褒めたい人々の気持ちも一理あるのだ。というのは、この作品は本当に「テニス」という競技に「真摯」であるからだと思う。私が「リアル」とはちょっと違うのではと言いたいのはここだ。ベイビーステップで描かれる技術は決して「リアル」とは言えないまでも、「作者のテニスへの真摯さ」は伝わってくるのだ。某王子様漫画がテニス漫画にもかかわら日本テニス協会関係者からは苦情を言われ、競技経験者からは嫌われまくっているのは、この「真摯」さが全く伝わってこないからだと思う(女の子向けのビジュアルで売れれば良いという姿勢が更に嫌われる)。
更にこの作品が従来のスポーツ漫画の限界を超えた点は、「メンタルコントロール」と「マインドセット」の部分を突き詰めた点である。この点に関しては、企業で管理職を務めた私の経験から言ってもかなり「リアル」と評価できるレベルだ。
この18巻は特に象徴的で、マナーの悪い高木との対戦で、作者はあっさりと従来の漫画的常識を全否定してみせる。
「ダメだ。「怒り」は試合に活かせないんだ」
汚い敵への怒りで主人公が突然パワーアップしたりするのは少年漫画のお約束だが、現実に仕事やスポーツ競技に従事する人であれば、それが非常識であることは明白だ。この作者が本当に「真摯」だと思うのはこういう点である。
全巻までの井出戦でも顕著になったが、なぜ「エーちゃん」が集中力を発揮できるのか、逆になぜ失敗したのかの経緯を漫画的なお約束に逃げることなく描写する表現力は圧倒的の一言。私は未だかつて「これ」が出来た漫画家を他に知らない。
この作者の真摯さは、キャラクターの基本造形や恋愛パートでも象徴的だ。
この作品が余りメジャーにならない最大の原因の一つであろうが、この作品は男女のどちらに対しても「萌え」に媚びていない。これは20世紀ならともかく21世紀以降の作品としては、天然記念物的な貴重さである。この作者は女性であると聞くが、その矜持、作品の姿勢へのプライドには本当に敬意を表する。
作者が女性ということもあるが、この作品には少年漫画にありがちな男性読者に媚びるようなお色気シーンやエロシーンは絶無だ。それでいてヒロイン「なっちゃん」は本当に自然な可愛らしさが描けている。(勿論一方では、一部特定の趣向を持った女性読者に媚びた美少年描写なども絶無である)
これは当たり前のようで本当に稀有なことなのだ。私の知る限り、きちんとこれが出来た少年漫画は「帯をギュッとね」位だ。あの作品は20年前当時としてはめずらしく少女読者からも高い支持を得ていたが、その理由の一つとして、「女の子キャラが不自然に胸が大きかったり、下着描写などがなく清潔な感じで、等身大の女の子が共感できる」というものだった。
尚、私以外にも「ベイビーステップ」と「帯をギュッとね」の共通点を指摘した人はいて、「帯ギュ」のように女子の試合を描いていければ、もっと人気が出るのではと指摘していたが、私も同感である。「帯ギュ」が20年前から現在に至るも革命的だったのは、男子と女子の試合をかなり均等に近いウェイトで描いたことであった。(当時、これで女子柔道に憧れを持った女の子が増えたと記憶している)
しかも「帯ギュ」の凄かった点は、女子の世界大会まで話を広げながらも、惰性化することなく全30巻できちんと話をまとめ切ったことであった。この点では「ベイビーステップ」も高レベルで、ストーリーの中心を絞りきることで18巻時点でエーちゃんは高校3年になっている。欲を言えば、せっかく女子キャラクターも魅力的に描けているのだから、なっちゃんの試合を描くことで女子のファン層拡大にもつながると思うのだが。
最後に付け加えると、さすが女性作者だけあって恋愛パートの完成度は、少ないスペースながら圧倒的である。ここはさすがに「帯ギュ」よりはるかに上で、「帯ギュ」は男性作者なのでお世辞にも上手くはなく、ヒロインは「幼馴染」という定番で逃げてしまっていた。
「ベイビーステップ」でエーちゃんとなっちゃんの恋愛進行はファンにとっても一つの楽しみになっているが、作者のプライドと矜持を感じるのは、それが決して男性読者へのサービスになったりせず、きちんと作品のメインテーマに連動させている点である。18巻に至るまで、恋愛部分のスペースは決して大きくないのだが、そこに詰め込まれた心理背景の描写、情報量の密度は圧倒的であった。
長く書いてしまったが、「よい作品」を通り越して「凄い作品」というのはそうあるものではない。しかし、この「ベイビーステップ」は明らかに「凄い作品」になりつつある。