26歳頃の作で、英仏百年戦争からランカスター家(赤薔薇)とヨーク家(白薔薇)の血生臭い王権争い(薔薇戦争)までの話。登場人物はすべて実在し、話の大筋は史実。王位をめぐる諸卿たちの大陰謀が渦巻き、チャンバラ合戦が繰り返され、"乙女"ジャンヌ・ダルクや"絶世の美女"王妃マーガレットが自ら軍を率いて闘うなど、"女傑"が刀を手にして走り回る。一方、生後九ヶ月で王にされてしまったヘンリー六世は、父と違って柔和で軟弱な人文系ヘタレで、王にはまったく向かない優しい青年、草食系男子なのだ。なのに、彼を取り囲む諸卿たちは男の匂いをぷんぷんさせた野郎くさい面々ばかりで、ジャンヌやマーガレットももちろん肉食系。心優しい一人の草食系男子が、ケンカや権力争いが三度の飯より好きな肉食系男女に囲まれて、みじめに潰されてゆくという物語。ジャンヌ・ダルクはほとんどパロディで、どうしようもないお転婆娘。戦いに勝つのは悪霊の助力のせい、イギリスの英雄トールボット卿を口汚く罵り、捕まって火あぶりにされそうになると、"聖処女"のはずが子どもを身篭っていると突然言い出して、延命を嘆願し、しかも相手の男は誰だと問われて答は二転三転する。こんなジャンヌ、フランス人が読んだら怒るぞ。松岡氏の新訳は切れがよい。たとえばジャンヌの科白、「[身篭っている子はシャルル皇太子の子かと問われて] 早合点するな、これはシャルルの子ではない、私の愛を楽しんだのはアランソンだ。・・・[アランソンならなおけしからんと一喝されて] ああ、澄まない、いま言ったのは嘘だ、シャルルでもない、私が名前を言った公爵でもない、私をいいようにしたのはレニエだ、ナポリ王だ。」(p178)