この映画は、短編である。短編は複雑な事を描かず、ぐっと一直線にテーマを貫く方が好きだ。その意味で、この短編のテーマは実に無駄のない潔いものとなっている。
この監督の映画は、どうも「絶対的で圧倒的で理由もない孤独感により死に魅せられた者が苦悶と闘争の末にそれを生に転換する」という構図が多い。しかし、どの映画の料理の仕方も実に味付けが良く、疾走感がある。また、インターネット心中が象徴するように、「死を望んでいるにも関わらず、その死の瞬間に同伴者を望む」という「孤独に耐えられないがゆえの矛盾した曖昧な行動」を深く掘り下げている。
生と死の狭間である空間ですべての記憶を剥奪され地獄を彷徨う時、人が望むのは真実の願望である。それは「死にたい」の陰にある「生きたい」という心であり、自分自身にもわからぬ深奥の心理だ。
「誰かとともに花火を観る」ことの意味、「白く清潔な洗濯物の匂いを感じる」ことの意味を感じさせる映像の周到さ、脚本の練り上げ方はさすがである。
仏教的な地獄を閉塞状況で描きつつ、ポーの「早すぎた埋葬」「落とし穴と振り子」やギリシャ神話オルフェウスとユウリディケの地獄脱出の変奏曲も奏でる。
「共に死にたい」を「共に生きたい」に変換するには、心が一度死を経験しなければならない。この短編はホラーではなく、小規模のダンテ「地獄篇」である。