『プロレゴーメナ』でKantは分析的判断、総合的判断、ア・プリオリやア・ポステリオリな認識、物自体、現象等の独特な術語を使って、認識の限界に関する理論的な考察をする。批判的に考えるということが、例えば単にHumeのような経験主義的な懐疑論やLeibnizのような理性主義的な観念論の何れかに与して異なるアプローチを非難するということではなく、高い視点と高度なバランス感覚を伴ってそれぞれの境界を見定めることなのだと学んだ。Kantは本論の中で、経験を離れた形而上学的な認識は成立しないというHumeのような考え方に対して、いかに経験に先立って総合的な認識が可能かを問うている。このような問い立てもさることながら、もっと基本的な話として、述語が主語に新たな要素を付け加えることによって認識を拡張する総合的な認識は直感によってのみ可能、という考え方が新鮮だった。新たな要素を結合する知的な営みにはどこか直感的なところがあるのだろうし、Schumpeterが資本主義の動力学の基礎に位置づけた「新結合」にも似たような側面があるのだろうと考えた。
『人倫の形而上学の基礎づけ』でKantは人間の自由の法則を理論的に考察する。自由を根本的なものとして前提としつつも、必ずしも原理通りに働くわけではない人の意志が道徳の原理と一致するためには、それが経験に先立って条件なしに「〜せよ」と命令する定言的命法に従う必要があるという。定言的命法の三つの展開は、法則の普遍性(自分の行為の主観的原理(格率)が自分の意志によって普遍的法則とならしめるように行為せよ)、人間の尊厳(人間(理性的存在者)は単に手段としてではなく常に目的としてみなければならない)、意志の自律性(自らの行為の主観的原理によって自分を普遍的立法者ともみなしうるように行為せよ)をカバーする。人類共通の善を探求する理想主義的な姿勢は格調高い。