ウエーバーのこの論考は、日本では様々な議論の対象となっているので、新訳を出すということはかなり勇気のいることでしょうが、そのようなこととは関係なく、このような有名な図書は闊達な翻訳者による自由な翻訳が沢山出るべきなのです。資本論やヘーゲルの論考はいろんな人が翻訳しているにも係わらず、ウエーバーの本書の邦語訳は学者達の本家・家元論争に巻き込まれ、結果新訳を出す勇気すら若手から奪ってしまったのではないかと思われるほどです。そのような点で不幸で不毛な論争(過激なウエーバー批判とウエーバーに一生を捧げてしまった人たちの応酬も含めて)も単なる消耗でしかありませんでした。
そのような次第で批判するにしても肯定するにしても日本の土壌ではウエーバーやその翻訳を語ること自体に不自然な慎重さが要求されるのですが、この翻訳はそれとは全く関係なく、自然体で提示されていることがすぐれた点だろうと思います。
従って、この新たな翻訳で新たに本書に接する人にはこれはよいものでしょうし、この論考を読んでウエーバーの弛まぬ長大な議論を理解したときの新鮮な驚きを得るには本書は申し分ないものです。
しかしながら、全体的な構成や主要な観点も大体知ってしまっている人々にとっては、この翻訳で益することは多分少ないでしょう。換言すれば、大塚訳あるいは梶山他訳で十年・二十年と暮らしてきた人間にとって、この新たな翻訳が果たす役割は多分ゼロといってよいかと思います。
とはいえ、先にも述べましたがこのような立派な論考は複数の、それもつまらないアカデミズムの縦横上下関係とは縁もゆかりもない人たちによる自由な翻訳を必要としています。先鋭な議論はこの本を知識として我ものとしようとする人たちにとっては不要なのともいえます。そして、過去の大思想家のまぎれもない学問的業績に触れることは家元制度とも無縁なはずです。そのような観点から言いまして、本書は☆5つでも足りないとさえ思っております。