和英辞書の善し悪しは、同じ言葉に対する解説を比較すればわかりやすいのではないだろうか。例えば、ぴったり当てはまる英語がない日本語「ついでに」などを調べて比較してみると、スーパー・アンカーでは、最初に「ぴったり当てはまる英語がない」と解説され、by the way、at your convenience、incidentallyなど24行に渡って解説されているが、プログレッシブでは14行でincidentallyすら掲載されていない。ウィズダムではby the way、at your convenience、incidentallyとon the way toも記載されている。
ぴったり当てはまる英語がない日本語「もったいない」はどうであろうか。スーパー・アンカーでは、最初に「ぴったり当てはまる英語がない」と解説され、惜しいという意味でwasteful、過分であるという意味でtoo good forが紹介され15行で解説されている。プログレッシブでも同様で11行だが、過分の意味でdo not deserve、畏れおおいの意味でsacrilege というマニアックな言葉まで紹介されている。ウィズダムではwasteful、too good forの2種類だけなので、do not deserve、sacrilege という発想は発見できない。
「顕著な」という言葉は、スーパー・アンカーではremarkable、outstandingの2語、本書ではremarkable、striking、conspicuousの3語、ウィズダムではoutstanding、marked、noticable、strikingの4語で、和訳の最大限の情報を得るためには、各辞書の最小公倍数を用いなければならないことがわかる。
こういうことで感じるのは、和英辞典にはそれぞれ一長一短があり、優劣を付けることは難しく、どの和英辞典が一番良いかを考えるより、どんな和英辞典でもよいから2つ以上の辞書で調べることが大切であるということである。そして、和英辞典に掲載されている言葉をもう一度英和辞典で調べ直すことは必要不可欠だから、和英辞典に求められるのは解説の充実ではなく、その日本語の英訳としてどれだけ多くの言葉が載せられているかであると感じる。