カート・ヴォネガットが死んだ。
2007年4月11日。享年84。
此処に謹んで哀悼の意を表す。
本書はヴォネガットの長編第一作目。
オーウェルの『1984年』や
ハクスレィの『素晴らしき新世界』よりも
現実の21世紀は「人間が、どんどん、要らなく為っている
時代」と言う意味で、本書に描かれた世界に
酷似して来ていると思われる。
当時、GEのサラリーマンだった
ヴォネガットが「大企業家族主義」の
カリカチュアや、或いは、登場人物達の
子弟が18歳くらいで受験する
国家学力試験で、その後の人生が
決定される等、「日本的経営」や
「共通一次・センター試験」等、
1980年代的な「日本型システム」を
「予言」したかのような内容である。
そして。90年代に入り、「日本型システム」が
崩壊を開始して、「管理社会」もついでに
半分くらいは、崩壊してくれたのは、
良かったのか、悪かったのか、或いはその中間かは
兎も角として、ヴォネガットが、その後
描き続けた「親切」、正確には
「愛なんかよりも、親切を」と言うテーマは
90年代のアメリカITバブルと、
日本の平成大不況の中で、消し飛んでしまって、
21世紀現在に至る感が有る。
20世紀的な戦争の世紀を生きた作家、
ヴォネガットは、新たな戦争の世紀、
21世紀を見て、いや、「確認して」、
この世を去る事になった。
この「大いなる皮肉」。
本当に「泣くか、笑うかしかない。」
しかし、「少なくとも、笑えば、笑った様な
気分に為る。」
21世紀的な戦争の問題はさて置き、
人間が「本当に」要らなくなったのか。
私は、今、ダニエル・バレンボイムの
バッハの平均律クラヴィイアを
聞きながら、此れを書いているが、
プレイヤー・ピアノにバレンボイムの
代わりの演奏が出来たとしても、結局、
其れ以前に、「オリジナル」である
人間のピアノ・プレイヤーが必要なのだ。
そして、此れは、トレーディングの
状況でも、全く、同じなのである。