サブタイトルにあるとおり、『失われた時を求めて』のなかで、著者が愛好する名場面を読み解いた本である。
あまりにも有名な「マドレーヌ菓子」のくだり、架空の大作曲家の「ソナタ」をめぐる愛の物語、海辺での「花咲く乙女たち」との出会い、最愛の祖母の甦りを描いた「心情の間歇」の一挿話、そして「見出された時」における大団円……など、よく知られたエピソードを丁寧に読み込んでいく。
本書を通読すれば、『失われた時』がいったいどういう小説であるのか、おおよそのところがわかる仕掛けにもなっている。
そのかぎりでは、絶好の<プルースト入門篇>と呼んでもいいし、恰好の<『失われた時』へのいざない>と評してもいいだろう。
……とはいえ、名著『プルースト・印象と隠喩』(ちくま学芸文庫)で、プルーストの小説の構造を看破した著者の手になる書だけあって、とおり一遍の解説では終わらない。
著者自身、《原文を訳しながら、ゆっくり読んでいくと、これまで読み落としていた細部の真実に気づくことがしばしばある》といった趣旨のことを書いているが、じっさい、われわれが読み過ごしてしまいがちな<細部の真実>がつぎつぎに指摘される。
一、二例を引いておく。
・プチット・マドレーヌを口にした語り手が、一挙に過去を想起する「無意志的記憶」を記したくだりでは、半過去、現在形、単純過去といった時制が巧みに操られていること。
・ピアノの印象を表現するとき、プルーストは「聴く」ではなく、「見る」という動詞を使い、《言葉のあいだから音楽が聞こえて来る》ような印象を与えること。
・奔放な「花咲く乙女たち」の出現を語るに際して、あまり気づかれることがないけれど、プルーストは彼女たちの少女時代の風貌に触れている。さらにいえば、彼女たちがやがて彼女らの母親のように容貌が衰えるであろうことまで告げられている。少女〜若い娘〜母という<時間>の経過(小説のテーマのひとつ)が、すでにここで予告されていること。
・その「花咲く乙女たち」との出会いに触れて著者(保苅氏)はこんな感想を洩らしている。
《どこかで若い娘たちの一団に出会うということは……だれもが普通に経験する日常の出来事である。しかし、その日常の一瞬の経験のなかに、これだけ多彩で、微妙な美の感覚が隠されていることを教えてくれる作家が、……プルーストのほかにいるだろうか》
プルーストの行文をじっくり読み込みながら、著者は、プルーストの小説の核心(あるいは秘密)に迫ってゆく。
芳醇な日本酒を味わうような、ぜいたくな趣きのある本だ。