本訳書を二度ほど読みかけたが、先に投稿された<カスタマー>氏同様、私もほとんど理解できなかった。そこで原書を注文して読み返したら――随所に誤訳があることに気づいた。
本書の冒頭部分から簡単な例を挙げておけば、シャルリュス男爵の「演劇に対する感覚」とあるのは《芝居っ気》と訳すべきだろうし、ヴェルデュラン夫人の「物まね」は《身ぶり》とすべきである(小説のなかで夫人は「物まね」などしない)。ノルポワ氏の「外交に関する数字」は《外交に関する隠語》である(イギリスの首相官邸を「ダウニング街」と呼ぶような)……といった具合。
訳文全体に関しても、意味不明なセンテンスが散見される。
やはり冒頭部分から一例を挙げると――「プルーストにおいては、マルタンヴィルの鐘塔と、ヴァントゥーユの短い楽節が、彼をいつもマドレーヌやヴェネチアの敷石の方へと連れて行くことであろう」。
ここは原文によれば――《プルーストにおいては、マルタンヴィルの鐘塔とヴァントゥイユの小楽節はつねに、マドレーヌやヴェネチアの敷石より優位を占めている》となる。
ドゥルーズは、芸術的な契機をふくんだ鐘塔や小楽節の体験のほうが単なる記憶の甦りであるマドレーヌ菓子や敷石のエピソードより重要だといっているのである。だからこそ彼は、「『失われた時を求めて』の本質はマドレーヌや敷石のなかには存在しない」(訳書)と書いているのではないか。それなのに、鐘塔や小楽節の体験が<語り手>を「マドレーヌや敷石の方へと連れて行」ってしまったら……話が逆になってしまう。
「プルースト全集」(筑摩書房)の別巻で、本書の結論部分を湯沢英彦という人が訳出しているが、こちらはじつに明快。ドゥルーズのプルースト論はフランスでも評価が高くユニークな論考なので、ぜひ改訳を望む。