現在、英国で近代英国哲学および政治哲学を勉強しています。この本を読まれた多くの方は、彼の素朴な正義感と、それを一貫したもの(要するに説得力のあるもの)にする彼のプリンシプルに大いに感銘を受けていると思う。私もその一人であり、彼のこの本を日本にいる時から何度読んだかわからない。
他方で、多くのレビューを見ていると、「日本(人)は本質的に変わっていない」、「白洲が生きていてくれたら」のような、さもありがちな故人礼賛および現在日本人に対する皮肉に終始しているような印象を受ける。しかしながら、それでは結局、不平不満しか言わない当事者意識のない有象無象と変わらないし、日本国民の知恵を信じた白洲の本意にも反すると私は思っている。英国にいるとよくわかるが、日本に足りないのは、国家を適切に統治する能力を有するように「それ用の教育」を受けてきたエリート層と、そうした能力を有しながらも、あえて中立・公平な立場から社会に携わろうとする良識のあるマスコミの二者であり、決して日本の国民が愚かな訳でない(議会は国民の反映というが、「それ用の教育」をするシステムが日本になく、有意な人材が輩出されない以上、国民は劣悪なものから選ばざるを得ないのが実情だと私は思っている)。それは今回の震災において、諸外国が一般国民の冷静な対応を絶賛したのと対照的に、政府の力量不足に対して厳しい批判を続けていることに顕著に表れていると思う。
'こちらにいるとつくづく思うが、他人に説明できるプリンシプル(よく政治家が言いがちな'信念'みたいな、独りよがりな'思い込みではなく)を有するということは本当に難しい。それには、然るべき本を読み自らの思考を鍛え、それに対して適切な人物から厳しい批判を受け、それを受けてまた自分の考えを改め・・・といったプロセスを踏むことが必須であると思う。誰しもが時間的、物理的な制約から出来る訳ではないが、少なくとも、自分が常に正しいと思い込み、小さな世界に閉じこもり、他人の成功を妬み、揚げ足を取ろうとする陳腐な嫉妬心を持たずにいることは、心がけ次第で誰しもが出来ることだと思う。こういう理由で僕は正しいと思う、あるいは間違っていると思うと述べるよう努力し、自分が間違っているときには率直にその非を認める、というような、合理的な(という言い方は若干陳腐で嫌いだが)日本人が増えれば、日本の政治は自ずと変わると私は確信している。
白洲次郎が驚くほどの素晴らしい日本を自らの世代で作り上げることを、我々はまだ諦めるべきではない。