「自然は美しい」「自然は守らなければならない」と我々が素朴に言うとき、そこでいう「自然」とはいったい何なのか。
著者はこうした日常的な問いから出発して、自然美と倫理との関係を根本的なレベルから問いなおしていく。
自然環境の美について、自然を鑑賞する我々の側の感性を含めて包括的に議論する「環境美学」は、1970年代以降、現代英米圏の哲学・美学における主要トピックのひとつとなっている。
しかし、そのこととは対照的に、日本国内ではこれまで殆ど紹介されてこなかった。
日本で初めて「環境美学入門」の名を書名に掲げた本書は、環境美学の入門書(introduction to)である以上に、国内の美学・芸術学の領域への環境美学の導入(introduction of)という役割を果たしているといえよう。
実際、本書の性格は、環境美学の紹介に留まらず、美学と倫理学との交錯地点に踏み込んでいくという野心的な取り組みによって特徴づけられる。
著者は芸術と自然環境との関係を議論する中で、より根底的な問題、すなわち、美醜にかかわる〈美的なもの〉と、善悪にかかわる〈倫理的なもの〉との関係を問いなおしているのだ。
同書のこうした特徴は、表題ともなった第五章「プラスチックの木でなにが悪いのか」の中でいわゆる「不道徳作品」をめぐる論争に多くのページが割かれていることや、
第六章「自然の悲惨と美的なアルス」でゲルハルト・リヒターの政治問題をテーマにした作品群が取り上げられている点にも明瞭に表れている。
その意味で本書は――著者が序文で述べているとおり――「環境美学入門」であると同時に「分析美学入門」としても読まれることができるだろう。
さらに「環境美学」という英米圏の分析美学の流れに属する議論から出発するとはいえ、著者は、英米哲学のみならずカントやシュレーゲル、デリダやバルトらの大陸哲学・美学にも怠りなく目配りし、そこから独自の考察を随所で打ち出している。
このあたりは日本の美学会を長きに渡って牽引してきた著者ならではの、豊かな知識と大胆な発想力のなせる業といえよう。
また、リヒター、セラーノ、ハースト、モリス、ソンフィストといった現代美術家の作品がふんだんに取り上げられていることも併せて指摘しておきたい。
言うまでもなく、自然環境の美と倫理性をめぐる議論は、現代アートを論じる中でも避けて通ることのできない問題である。
「わが国においては、分析哲学・倫理学はすでにディシプリンとして十分定着しているにもかかわらず、こと美学の領域にあっては、これまで分析美学が十分に議論されてきたとはいいがたい」(序文より)。著者はこうした現状を憂慮して、現代分析美学の入門書・解説書であると同時に、挑戦的・野心的な美学理論書という性格をも併せ持つこの著作を世に問うている。