ブレンダ・リーは1944年にジョージア州のアトランタで生まれ、6歳でデビューし、その頃「ダイナマイト」という曲を歌ったために「リトル・ミス・ダイナマイト」と呼ばれました。10代で初のビルボード・アルバムチャートのNo.1の記録を達成しています。デビュー当時は「ニュー・ジュディー・ガーランド」とも呼ばれたようです。そのくらい少女の頃から歌が上手かったのでしょう。
彼女のヒット曲といえば「この世の果てまで」の歌声を思い出しますが、この曲はもともとスキーター・デイヴィスが1963年に歌い、大ヒットした曲のカバーでした。日本では彼女の持ち歌として知られていますが。彼女の歌声はとても甘く伸びやかで、1度聴いたら忘れられない張りがあり、説得力のある声という評価は今でも変わりません。
トニー・ベネットの歌で有名なスタンダード曲の「我が心のサンフランシスコ」も、ブレンダ・リーの歌唱の方が有名で馴染みがあります。原曲は1954年にクララメ・ターナーによって歌われ、その後多くの歌手によってカバーされました。現在でもよく聴かれますのでスタンダード・ナンバーの名曲といえるでしょう。
「愛の讃歌」「バラ色の人生」「この胸のときめきを」「好きにならずにいられない」「オンリー・ユー」「モア」「誰かが誰かを恋してる」「いそしぎ」「行かないで」「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」「シェルブールの雨傘」「恋人よ我に帰れ」等のスタンダードの名曲の歌声は今聴いてもとても魅力的です。
ブレンダ・リーを知っている人には懐かしく、知らない若い世代には、このような名歌手が当時の日本で愛されていたということを知っていただければ幸いです。