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ブッダ悪魔との対話――サンユッタ・ニカーヤ2 (岩波文庫 青 329-2)
 
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ブッダ悪魔との対話――サンユッタ・ニカーヤ2 (岩波文庫 青 329-2) [文庫]

中村 元
5つ星のうち 4.0  レビューをすべて見る (3件のカスタマーレビュー)
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商品の説明

内容紹介

『サンユッタ・ニカーヤ』の第一集「詩句をともなった集」の第四篇から終り第十一篇までを収める。悪魔や尼僧、バラモン、在俗信者などとの対話に、はるかな昔、貧乏、病、死、戦争、煩悩等々にうちひしがれた人々の間をたゆみなく歩き、彼らの苦しみを救ったブッダの姿が生き生きとよみがえってくる。

登録情報

  • 文庫: 425ページ
  • 出版社: 岩波書店 (1986/12/16)
  • 言語 日本語
  • ISBN-10: 400333292X
  • ISBN-13: 978-4003332924
  • 発売日: 1986/12/16
  • 商品の寸法: 14.8 x 10.6 x 2 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 4.0  レビューをすべて見る (3件のカスタマーレビュー)
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36 人中、32人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 なにも「存在しないところ」ってどこだろう, 2007/1/19
レビュー対象商品: ブッダ悪魔との対話――サンユッタ・ニカーヤ2 (岩波文庫 青 329-2) (文庫)
釈尊にとって最大の敵である悪魔との対話。

悪魔は釈尊にこう語りかける。(P37〜P40)

  修行者よ。眼はわたしのものです。色かたちはわたしのものです。眼が〔対象に〕触れて起こる識別領域はわたしのものです。修行者よ。そなたは、どこへ行ったら、わたしから脱れられるだろうか。 

こうして悪魔は、五官のすべてにわたって「眼」の場合と同じ様に自分のものだと言い張り、心までも我が手中にあるという。これに対して、釈尊はこう答えられる。

  悪しきものよ。眼はそなたのものである。色かたちはそなたのものである。眼の接触から生じた識別領域はそなたのものである。しかし眼が存在せず、色かたちが存在せず、眼の接触から生ずる識別領域が存在しないところには、そなたの行くべき通路は存在しない。

このように、悪魔の言う、五官は「わたしのものだ」ということについて、逐一反論された釈尊は「心」についても同様に述べられる。
  
  悪しきものよ、心はそなたのものである。考えられるものは、そなたのものである。しかし心が存在せず、考えられるものが存在せず、心の接触から生ずる識別領域の存在しないところには、そなたの行くべき通路は存在しない。

釈尊はこうして悪魔を退けられる。このことと、イエス・キリストの場合を比較してみると興味深い。マタイによる福音書において、イエスは悪魔の「誘惑」に遭うが、これをすべて神の名によって退ける。(ルカ伝についても大筋で同様である)
悪魔と面したとき、イエスが絶対者に拠ったのに対して、釈尊は逆に「存在しないところ」、なにもないところを志向された。

各人にとって、それぞれ「敵」は違うと思う。が、釈尊が己の「敵」にたいしてどう対処され、どうやって超克されたのかを読むのは、意味のないことではないだろう。
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9 人中、6人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 ゴータマさんの教え, 2009/3/25
By 
ISOP (山口県周南市) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: ブッダ悪魔との対話――サンユッタ・ニカーヤ2 (岩波文庫 青 329-2) (文庫)
現代において直接ゴータマさんのお話を聞くことができるなんて、すばらしいと思う。
仏教はいろいろな宗派やお経がたくさんあって、何がどうなっているのかよくわからないが、
結局最初にゴータマさんが教えられたことを直接聞く事が重要である。
読み応えは半端でなくすごい。仏像でも有名ないろいろな神々や悪魔ら(阿修羅・帝釈天など)がでてくる。
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30 人中、0人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 2.0 仏教の場合これらの本が聖典に当たります, 2011/9/23
レビュー対象商品: ブッダ悪魔との対話――サンユッタ・ニカーヤ2 (岩波文庫 青 329-2) (文庫)
私自身の経験からするに、英知をいただき、パズルが解けるほどになってくると、聖典類が理解でき学んでいくことができるのですが、私の場合は幼い頃から聖書(トーラー、ザブール、インジールなど)が常に学ぶべき書として定められていました。
私は唯一の御方しか信じていなかったのですべて、上記に出てくる人物は戦い倒すべき目標として定めていたのでした。
そして、はっきりしたことはやはり啓典のほうがいちばん上の聖典で、そのほかの偶像崇拝の輩は聖者とはいっても単に聖者でしかなく、預言者とは異なっているということです。
そして内面的な勉強をつづけ、岩波全書なども勉強し終え、初めから学んでいた聖典に戻り、唯一の御方に苦しみの時終わりの時に立ち帰らせて戴いたのでした。
大学時代に唯一の御方に立ち帰るべく決意した時から、ずっと「地獄の淵のあたりにいた。明らかに迷いの中にいた。」のですが、アッラーの御赦しによりムスリム(イスラーム教徒)としていただけたのでした。
とうとうわかったことは、イブラーヒームもムーサーもダーウードもイーサーも凡て預言者で正しく、聖者たちの上に高くそびえたつ人々であったということでした。
これは、インジールの原本と同じ内容にあたるのです。現在の聖書(バイブル)は「変質させられた宗教」であり、アル・クルアーンこそが最後かつ完全な完成された「真実の宗教」であり、最後の日まで守られた天の碑版に記された最高の啓典且つ聖典であるのです。
本当にアッラーが仰ったとおりに、「われはすべての宗教の上にあなた方のために今日宗教(ディーン)を完成した。」のであり、凡ての宗教上及び世俗上の論争の解明であり、導きであり慈悲であり、尊い、真実の宗教(ディーヌ・ル・ハック)、英知の啓典であり、まごうかたない啓典であり、明白な天啓であられ、真理でありまた確証であり、訓戒であり、万人への教訓であり、最後の啓典であられるのです。「もはやページは閉じられているのである。」と仰った最高の最後の完成された完全な啓典として、守護されているのです。
預言者殿のスンナや別離の説教(ホトバトル・ヴェダー)には本当にあのお方を今目の前に見ているかのように感じるほど、明瞭にあのお方に出会い話を伺っていることを意識してしまいます。永遠の命を得られたのです。人類史上の誉れであられる預言者ムハンマドに平安あれ。万有の主アッラーにこそすべての賞賛とたたえあれ。アーミーン。

啓典のほうが素晴らしく、聖アル・クルアーンしか必要ありません。
「真理の教え」はイスラームのみなのです。「変質させられた宗教」はもはや使い物になりません。どれほど努力しても、著者のスカートにつかまっていても、いつまでたっても頭には届かなかったことでしょう。宗教は柵のようなものを作り出すため『国家』と同じような作用があります。
どれほど努力しても決して著者に追い付かず、結局スカートの淵で向上をあきらめるほかなくなるのでしょう。
そのような言葉が著名なスーフィーの言葉の中にありました。
必死で努力したら何とか著者には届いても、それ以上は先に進むこともできないのです。
宗教の作り出す『柵』は恐ろしいものです。
偶像崇拝の輩などには近づいていてはいけません。欺かれてしまうことです。
犯罪者の仲間になってしまえばもはや終わりです。そこから避けて去ることが正しい道です。
そして、様子をうかがっておけばよいでしょう。
関わり合いになっていてはいけません。
仏教も当初ヒンドゥー教の一分派として生まれましたが、ヒンドゥー教自体が偶像崇拝である有様はもはやこれ以上醜態を見せることもないのでは、と感じるほどです。
 あなたがたにとってアッラーの御許にあるものこそ最善で最高で永続し、そしてアッラーのほか凡て消え去るのである。アッラーの仰る通りです。ありがとうございます。御赦しください。従います。万有の主アッラーにこそすべての賞賛と讃えあれ。アーミーン。 

P.S. ところで仏教が伝来したのはいつごろからかといいますと、隋が始まる少し前の538年(一説に552年)に伝わり、遣隋使に国書を大王(おおきみ)が送り、隋の煬帝を怒らせて、蘇我(そ、われ)氏が仏教を崇拝し寺院を建てなどし広め、唐に中国が変わって遣唐使を送り始め、そののち大王の天皇への神格化が起こり、同じころイスラーム帝国が西アジアで生まれ、平安時代に入り新しい仏教も入り、遣唐使を廃止した後、国風文化などというものが生まれ、そのころに武士道の花が『梅』から『桜』へと変わり、文法が壊れ始めた時期なのです。伝来から広まるまでの時期が比較的ゆっくりでしたが蘇我氏の広めたことにより多くの寺院が建ち、少しずつ広まった模様です。外せないのが、イスラームが生まれイスラーム帝国ができたのが、唐のはじまったころと同時期であることです。また、平安京が生まれる794年の前の766年にアッバース朝第2代カリフのマンスールが円形都城マディーナ・アッ=サラーム(平安の京)をバグダッド村に造営したことです。
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