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質問の内容を具体的にいくつかピックアップしてみると、「売春の是非」「殺生の是非」「お墓の是非」「解脱は脳内の錯覚では?」などというものが問われています。
そしてそれらの質問に対して、スマナサーラ長老はテーラワーダ仏教の立場から、合理的かつ具体的に答えを示されています。
このような点に、テーラワーダ仏教は宗教ではなく、科学に近いものであると考えるスマナサーラ長老の考えがよくあらわれているように思われます。
宗教の名の下に、美辞麗句を語ることは簡単です。
「正義」「平和」「安らぎ」「癒し」当然、誰でも求めるものでしょう。
しかし、私たちは現実にはそれらの目標を本気で求めることなくただダラダラと無為に日々を送っているのではないでしょうか。
そのような駄目な自分に活を入れるためにも、日々の生活に対して具体的な指針が必要です。
「平和に生きよ」と言われても、具体的にどうしたらよいのかわかりませんが、「酒を飲むな」と言われれば、何をすべきか誰にでもわかります。
願わくば同様の質問に対して、日本の仏教の高僧の方がいかなる返答をされるのか聞いてみたいと考えさせられた一冊です。
「何のために生きるのか」「仏教は欠陥宗教ではないか」という知識的な問いから、「なぜ人を殺してはいけないのか」「なぜ嫌いな人の幸せを願わなければないのか」「売春は悪いことなのか」といった道徳への疑問、生活上の悩みごとに至るまで、スリランカ出身のA.スマナサーラ長老が初期仏教の教えを基にやさしく簡潔に答えています。具体的に見てみましょう。質問66「祈りは尊いか」という質問には…
「祈りは別に尊くないのです。あれはおねだりすることだから、品のない行為です。…仏教は「神様何とかしてくれ」ではなくて、「自分で何とかしなさい」という教えなのです。」
こうバッサリ断言しておいて、著者は世間一般で漠然と説かれている「祈り」という行為について、仏教心理学の立場から三種類に分類して、「人格の向上」に役立つ「祈り」のあり方を検証します。いっけん刺激的であっても、決して言いっぱなしではない、必ず相手の役に立つように語る、という仏教の立場が全編にわたって貫かれているのです。
一神教の血腥さにうんざりした現代人は、仏教に「曖昧さ」「寛容さ」を求めています。確かに、ブッダは誰にでも分け隔てなく平等に語りかけました。でも、ご機嫌とったところで人が成長するはずがないので、時宜にかなったやり方で、誰にも曲げられない真理を堂々と語ったのです。そういう芯のある生き方こそが、仏教徒の本来の流儀なのです。
だから本書には随所にショック療法のようなキツイ表現も見られますが、どれもパーリ仏典に残されたお釈迦さまの言葉に厳密に則ったものです。そう、お釈迦さまは人類に覚醒をうながした教師であって、決して「相田みつを」の親玉じゃないんです!
20代~30代の若者を中心に、老若男女問わず多くの方々に読んでもらいたい、まだどんな人にも必ず引っ掛かる質問があるはずの間口の広い本です。反発したとしても納得したとしても、読んだ人の「心の成長」には役立つという、本書にぜひ挑戦してみて下さい。
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