この作品を単なる小説というジャンルに押し込めるのはあまりにも乱暴すぎる。「ボヴァリー夫人」の著者ギュスターブ・フロベールへの強い思い入れを、おそらくは彼のフリークであるバーンズが、自らの分身である医者(ボヴァリー夫人も医者の女房)に語らせている。「ボヴァリー・・・」同様の自由間接話法を用いた、エッセイとも評論ともよべる摩訶不思議な雰囲気が魅力だ。
出版当時そのスキャンダラスな内容が物議をかもし裁判沙汰にもなった「ボヴァリー夫人」をはじめ、フロベールの著作を読んだことがない人(自分を含め)にとっては、かなり最後まで読み通すのがつらい内容となっている。逆にフロベールに関する予習を済ませていてそれなりに興味がわいた人にとっては、そうでない人の何10倍も楽しめるだろう。
このフロベールという人、かなり世間に背を向けた偽悪的な人だったようだが、物事の核心をついた彼の発言には、幾度かハッとさせられることがあった。また、<白いシーツに群がる蚤>のような存在である評論家を嫌った数々のフロベールの発言に反して、本書が一種の作家評論になっているところが、英国人作家らしい独自のアイロニーを漂わせている。
「自分の人生に何らかの意味があるのだろうか?」フロベールが自らに問い続けたこの命題は、実は英国作家の小説の中に見出すことが多い。<自分の人生が最も尊い>という幻想が<フロベールの鸚鵡>のように唯一無二の真理ではないことを、我々現代人はそろそろ気づいてもいい頃だ。