精神科医としてひきこもり問題などの臨床を営む傍ら、ラカン派精神分析の立場からサブカル
批評をも手掛けている齋藤環。本書は主に、2000年代に入ってからの彼の映画やアニメ、
漫画といった表象文化を論じたものを集めた論集だ。
映画、アニメ、マンガのセクションに分かれている。いろんな媒体に長短さまざまな形態の文章
をあつめているため、はっきり言えばまとまりはない。特にパンフレットなどに寄稿した宣伝文な
どの場合もあって、書き流しているなとう印象を受けるものもいくつかある。最初の「弁明」で、
「たぶん私に、映画を語る資格はない」といかにも自信なさげだが、蓋を開けてみればおフランス
な文体でけっこう自信満々に語っているというコントラストは面白いが。
というわけで、本書の中で力の入っているであろう(読んどいていいかな)と思われるのは、二段
組みではなく、『現代思想』や『ユリイカ』など、比較的固い雑誌に寄せた文章だ。アニメ批評の箇
所など、後の戦闘美少女に接続する内容だし、マンガを論じたセクションは文脈病からの問題意
識が引き継がれている。その中でもとりわけ、読むべきと思われるのは冒頭の四編。
ルイス・ブニュエルの『アンダルシアの犬』の「古さ」を例に、抑圧理論からの象徴的読みの失効
をときながらも、それでもなお精神分析の有効性を説く冒頭から、マトリックスの「破綻」を肯定的
にとらえる「象徴界と選択」、押井守の「イノセンス」でのゴーストの設定の謎の意味を説く「身体・
フレーム・リアリティ」。そして、デビット・リンチ。そう、齋藤環はゴダールでなくリンチなのだ。ここ
らへん、おフランスな文体だけど一味ちがう。それだけはわかる。