進化論に興味のある人なら、グールド一派とドーキンス一派の対立・抗争(?)について耳にしたことがあるはずだ。ドーキンス派が遺伝子を自然選択の単位と考え、進化が蓄積していくと考えるのに対して、グールド派は原則として自然選択の単位は個体と考え、進化的発展という考えを認めない。現状ではドーキンス派が優勢のようだが、グールド派もまだまだ踏ん張っている。両者が互いに補い合う立場だとする見方もあって、まあその辺が落としどころなんでしょうね。
で、この本だが、蓄積的な進化的発展を認めない進化論が、生命の複雑化というトレンドをどう説明するかを、グールド一流の機知とユーモアを盛り込んで論じたもの。複雑化というトレンドは、統計を解釈する際の誤りに由来する錯覚だ、というのがその主張だ。統計の陥穽を説くに際してグールドが準備する道具は、平均値・中央値(メジアン)・最頻値(モード)の区別。そして取りうる値の限界という意味での「右の壁」「左の壁」。
この本を有名にした4割打者消滅の分析は、右の壁の例として登場する。つまり人間の身体能力の生物学的限界が、打率の分布において右の壁を成す。野球選手全体の技術的向上が起こると右側のスペースが狭くなり、打率の偏差の幅が小さくなる。他方、全体の打率平均が過度に高まらないようなルール変更が行われると、4割打者が生まれる可能性は非常に低くなる、という話だ。とても面白い。ただしこの話題、あくまでも進化に関するグールド流統計解釈を読者に理解させるための例である点に注意。
生命の問題は、左の壁と関連する。それはもっとも単純で、微小な生命体という壁である。生命の歴史が単なる適応の歴史であり、環境の気まぐれに翻弄されての偶然の反復であったとしても、この左の壁がある以上、右方向に分散していくしかない。つまり複雑化の方向である。
しかし注意すべきは、そこには「複雑化」という進化の方向性があるのではなく、単に適応形態の多様化と、その分布があるだけだという点だ。実際、全生命体の分布の中で、最頻値は常にバクテリアという生命形態であり、これは過去から現在、そして将来にわたって動かない。また進化史の中で次々に右端を占めてきた生命体には、系統的一貫性が見られないことからも、複雑化というトレンドの存在は疑わしい。単なる偶然により、値の分散として、右端があるだけであって(実際、ないわけにはいかない!)、進化をもう一度やり直した場合に、再び「人間」が生じる可能性はほとんどないだろう、というのがグールドの議論。
進化論の行方については、まだ決定的なことは言えないけれど、読んで楽しい本であることは確か。