内容のほとんどは、指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの評伝といえる。「序章」「第1章」「第2章」こそ、祖父・父について書かれているが、第3章以降は、指揮者のヴィルヘルム(祖父も同名だが、このレビューでは祖父については名を使わない)を中心とした記述である。祖父・父にかかわる部分は全体の4分の1程度。もちろん、ヴィルヘルムにかかわる部分では、当然ながら父や母も含めた家族が登場するので、書名が完全におかしいとまでは言えない。
「序章」から「第2章」までは読むのに難渋する。19世紀末から20世紀初頭の「ドイツ教養主義」に染め上げられたドイツ人の生き方・考え方さながらに、堅苦しさが文章全体に満ち満ちている。
それでも、ヴィルヘルムが指揮者として注目を集めるあたりからは、かなり読みやすくなる。女性との付き合い、トスカニーニやカラヤンに対する“競争心”“敵愾心”なども描かれる。ナチスとの関係及び戦後の「非ナチ化」裁判での釈明を見る限り、ある種の“狡猾”さを感じてしまう。
「終章」では、再びフルトヴェングラー家とドイツの「市民社会」との関連が論じられている。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラーにかかわる他の本をほとんど読んだことがないので、本書の記述を詳細に云々はできないが、彼のバックボーンとなった時代背景や思潮、彼の人となりについてはよく理解できた。
原題・邦題ともに、トーマス・マンの『ブッデンブローク家の人々―ある一家の没落』を意識したものだろう。トーマスの生年は1875年、ヴィルヘルムの生年は1886年である。