フルトヴェングラー信奉者によるフルトヴェングラー伝(論)であるだけに、そのバイアスは考慮しなければならない。トスカニーニとのミスマッチにおける議論、「ナチの元で振る音楽はナチと同じだ」「ベートヴェンはどこで振ろうとベートーヴェンだ」などというやり取りは明らかにトスカニーニが正しいだろう。しかし、フルトヴェングラーがトーマス・マンと違い、ドイツに留まって「ドイツ国民」を勇気付けたということも一面は真理であろうし、また、ユダヤ人作曲家ヒンデミット等を助けようと奮闘したことも事実であろう。
岩波新書『フルトヴェングラー』に鼎談で登場する丸山眞男の物言いが今ひとつ歯切れが悪いだけに、この20世紀音楽史にとどまらない大問題に対する解答が得られていないという気がしてならない。近年刊行された『悪魔の楽匠』といった書物は、この点で決定版と言えるのだろうか。
本書はフルトヴェングラー問題の嚆矢ともいえる歴史的な著作であるが、「音楽と政治」という副題からするとやはり物足りないと言わざるを得ない。同じ副題をもつ奥波一秀の『クナッパーツブッシュ』(みすず書房)は同時代のもう一人の巨匠を取り上げているが、より実証面が充実していると言えよう。但し、歴史家として客観的であろうとする分、リースの熱さはない。
読み物としては、好みもあろうが、リースの方がずっと面白い。そして、いまだにフルトヴェングラーを知る上での一次文献であることに変わりはなかろう。