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しかし実際には、メキシコのオーラが自然と引き寄せるアイデンティティの錯乱と、交通事故によって引き起こされた身体の障害から来る痛みの前で、私たちは、カーロのような人物を理解することの困難さを知らされることになるかもしれない。それでも読後、少しでも彼女を知りたいと!い!う気持ちが残ったならば、このとば口のような本からさらに詳しい本へと旅立つのがいいだろう。特別な才能と魅力を持った人物の輪郭を、一冊の文庫本から明らかにするのは無理がある。幸いなことに、日本語に訳されたカーロに関する本がすでに何冊か出版されている。
また、筆者が旅をする視点によって書かれたこの本は、移動してゆくそれぞれの土地の描写それ自体を楽しむという読み方もできる。重い内容を読み安くするための筆者の工夫だろうが、しかし、人によっては鼻につくと感じる者もいるかもしれない。筆者の視点が牽引していくフリーダ・カーロの理解という手法が、時に空回りして筆者の旅行記のようになっているところもあるからだ。
リベラやトロッキー、イサム・ノグチといった時の文化人芸術家を魅了したのも、彼女の強烈な個性、自意識によるところが良くわかる。その一見華やかそうに見える遍歴の裏に、何度となく血を流すフリーダ姿が浮かび上がってくる。今やメキシコを代表する女性の画家として有名な彼女だが、その衝撃的な絵の数々は彼女の夫リベラに対する愛の渇望、叫びであり、強烈な個性を持つフリーダが同じく強烈な個であるリベラとの愛を生きる上でどうしても不可欠なものだったのだ。
本書のなかで、著者はメキシコ旅行を通して、そんな彼女の生涯の軌跡を辿る。とても読みやすく、彼女の絵を鑑賞するとりかかりとしてだけではなく、一人の女性の生き方の物語としても楽しめる一冊である。
実際、本当の研究書(『フリーダ・カーロ 生涯と芸術』=映画原作、『フリーダ・カーロ 痛みの絵筆』)や、あるいはローダ・ジャミの小説(『フリーダ・カーロ 太陽を切りとった画家』)よりも、この『引き裂かれた自画像』でフリーダを知った人の方が多いのではないだろうか。
「研究」でないとしても、一人の女性としてフリーダの足跡をたどる旅について読むのは、決して無駄なことではないと思う。ばっちり知りたいフリーダ大ファ!ンの私としては、一時期「エッセイじ!ゃん」と思ったこともあるが、あらためて映画化などされてみると、個人的な体験であるこの本も、いいのではないかと思う。
『芸術新潮』フリーダ・カーロ特集も、「参考文献」にこの本を挙げていないのはちと了見が狭くないだろうか。
著者は女性の美術評論家の草分け的存在というか、非常に女性としては親近感のある語り口の人である。
文庫にもなったことだし、根強い読者はいるのだ。あだやおろそかにすることなかれ。
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