見えない暴力。見えづらい暴力といったほうがいいのかもしれません。
おおむねそれは、正義と言う名の下によって、マスコミが執行します。
見える暴力を受け持っていた”事務所”に、見えない暴力が振るわれます。
マスコミのカメラが集まった謝罪会見は、この本の読者である私たちがいる現実と同様に遵守、理念、反省、国民の皆様といった、実のない言葉によって飾られます。
マスコミの背後にいる私たちは、食事をしながら、セックスしながら、運転しながら、正義という快楽を消費します。そしてこの醜悪を健全と呼びます。嫌味ではありません。
さて、溝口の敵でったはずの”シマウマ”は、この本の読者である私たちにとっても敵であったはずです。自分の敵は自分の中にもいるというやっかいさに頭がクラクラすることでしょう。
さて、”この社会”にいるカタキとは、誰のことなのでしょうか?
続きが楽しみです。
そういえば、”この社会”が戦っているはずの敵もよくみえないですよね。