フランス近代文学の「まなざし」をめぐるエッセイ。各章ごとに
一人の作家を取り上げ、主人公が世界に投げかける視線が、19〜20
世紀の間にいかに変容していったかを考察している。
弾丸の飛び交う戦場で、主人公ファブリスの視野がとらえる飛び散る土や
泥にたまる血を、ありのままにとらえるスタンダールのまなざし。舞台のうえ
ではなく、観客の側を見つめ、そこに階層や職業といった「個」をはく奪
された人間の生理的反応を読み取るゾラのまなざし。ブレてピンボケした
糸杉の写真に、撮影者であり今は亡き妻の呼吸の痕跡を読み取ろうとする
(写真は星明りのもとで15分露出して撮影したものであるため、喘息の妻が
胸元で固定したときのかすかなブレが、写真上のボケとなって表れたのだ!)、
ジャック・ルボーのまなざし。
そのありようは多種多様だ。だが、20世紀にかけての大きな流れとして、焦点は
「世界をどのように見るか」から「見るという行為は何か」というメタ・フィ
ジカルな方向へと発展してきたことが、本書を読むとわかる(ヴァレリーはその
典型だろう)。こうした「まなざし」を解体する行為の行き着く果てにあるのは、
もはや何も書くことができない「文学の終焉」にほかならない。
まなざしとは、つまりは作家の世界観のことであり、本書はフランス近代文学の
入門書にもなっている。引用が豊富な点もいい。主に12人の作家が取り上げら
れているが、やはり素晴らしいと感じるのはネルヴァルとプルーストだ。特に
プルーストの世界観の独創性や圧倒的な豊かさは、このごく短い1つの章では到底
説明しきれない。プルーストの研究者である著者の、新たな作品を待ちたい。