解説では、「すでにクローンが次々とつくられている今日では、人間を人為的に生み出すことも夢ではなくなっている」というように、クローンに関する問題をこの小説と結び付け論じている。
重要な問題であることは間違いないが、この小説に「造られた人間の話」としてだけのイメージを抱いてしまうのは避けたいところだ(もちろん、クローン問題を考える際にこの小説が登場することを批判しているつもりは無い)。
ヴィクターはともかくとして、その先の登場人物たちが怪物を恐れたのは、必ずしも怪物が人造人間だったからではないだろう。怪物が残酷な行動をとったのも、怪物が人造人間だったからではないだろう。というか、人造人間だということを知らない人がほとんどだ。極端なことを言えば、彼の容貌が不気味だったからではないか?
もしそうだとすると、怪物の容姿が一般人と同じであれば、彼はあんな行動に走ることも無かったのかもしれない。ということは・・・
「あるいは現代のプロメテウス」という副題からも見られるように、この小説に人が人を作ることへの忌避や、行き過ぎた科学技術への批判が込められていることは疑いの余地が無い。確かに、怪物を生み出したのは間違いなく科学技術によるものだが、怪物が持つ残忍な心を生み出したのは、一体何だったのだろうか。