人気絶頂期の80年代の彼女の歌唱力は、思い出と共にやたらと美化され、「昔はとても歌が上手かった」という人がいるが、この人は元々、若い頃から、歌そのものが物凄く上手いタイプの歌手だったようには思わない。 昔の歌唱をよく聴いてみれば分かるが、声量や迫力には優れているが、歌そのものは結構不安定で荒っぽいです。歌番組を活用しての歌唱であったため、インパクト重視で歌そのものに対してはシンプルな音楽作りをしていた。当時の若手の女性歌手の中ではそこそこ歌える部類の人ではあったけれど、この人が当時から優れていたのは、音楽的な歌唱力そのものではなく、感情や雰囲気や世界観を聴き手に的確に伝えることのできる表現力であったと思う。彼女より歌の上手い人はいても、彼女ほど、歌で聴衆を楽しませてくれる人、歌で何かを感じさせてくれる人、表現力に優れた人は、なかなかいない。それが彼女の武器であり、彼女の歌が魅力的な理由です。 歌そのものの歌唱が安定して上手くなったのは90年代以降ではないかと思う。音楽作りを変えてから、一曲一曲の歌唱や表現が丁寧になった。技術的にも上手くなり、元々あった表現力はさらに深化し、歌唱がより進化した。 そして、彼女は、一つの歌唱法にとどまることなく、歌唱法・表現方法の模索を続け、様々な実験・試行錯誤を繰り返し、現在に至っています。 このアルバムや前回の艶歌等でも、癖のある歌い方をしている箇所はあるが、彼女が、普通に歌えば良いのになかなかそうしない、ちょっと変な歌唱法を意図的にやる、というのは、今に始まったことではなく、彼女のそうした妙に捻れた美意識は、80年代のアルバムから既に発揮されています。昔から、歌の技術的な上手さを前面に出そうとする人ではなかった。感情や雰囲気を優先する価値観の人だった。 この人は別に昔と特に変わってはいません。元々若い割に重かった声質が年をとってより重くなり、ウェットだった声がドライな音色にはなったけれど、変わったのは声質だけで、歌唱力そのものが若い頃に比べて衰えたとは思いません。また、彼女の歌に対する姿勢や考え方も変わっていないでしょう。 昔の人気絶頂期の彼女を、ただの歌の上手い歌手、歌が(技術的に)上手い、と認識している人には、彼女の優れているポイントが本来は何なのかは理解できていないだろうから、現在の彼女の歌を魅力的には感じないし、歌の上手さ=声量と高音、と思っている人には、彼女の昔も現在も変わらない歌への姿勢や考え方は理解できないものだろうと思います。 昔の彼女の歌を過剰に美化し、昔ながらの曲を求める声によって、彼女が保守・囲い込みに走ることなく、これからも自分のやりたいことを試み続けてくれたらいいなと思います。 前回の艶歌から、歌姫シリーズでありながら、1、2、3に比べて、かなり実験的になったと思ったけど、今回のアルバムでは、さらにガラリとカラーが変わり、歌唱もオリジナルを歌うときの地声ベースの音色になってます。 美化した昔の幻想を求めるでもなく、これまでの明菜さんのアルバム、近年のアルバムを楽しめたという人であれば、このアルバムもまた聴き込めるものになってるかと思います。